Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

50年来の友人の心無い言動①

幼稚園前からの50年来の友人(千鶴ちゃん)がいる。
彼女の兄と最初に私は知り合ったらしい(母談)
きっと、彼女の兄は、自分と同じ年の女の子を、妹の友達にしたかったのであろう。
妹思いの兄だと思う。
理由は分かる。
彼女は、子供の頃から、太っている事で卑屈だった。それが尾を引き、社交性がなく
同級生の友達を作る事に積極的ではなかった。彼女の両親や、兄二人とは年が離れていて
いつも「大人の会話を聞いて育った」彼女は、同級生より「大人びて」いた。
両親も「夜の仕事」をしていたため、子供と昼間一緒に遊ぶ事も出来なかった。
そして、周りに「すれた大人」ばかりがいたため、彼女は「耳年増」になってしまったのだ。


子供の頃から、彼女は「すでに悟った」かのような、大人びた言葉を言っていた。
教師からすると「しっかり者」だと、一目置かれる存在であったが、同級生の親や近所の大人からは「世間を知ったかの様な言動」をする事で「可愛く無い子供」と毛嫌いされていたのだった。
確かに、今でも彼女が幼稚園の時から写ってる写真は、笑った顔が無い。
常に「ムスッとした顔」でしか写っていないのだ。


彼女自身も、同級生は「幼稚だ」と豪語するぐらいである。
よって、同級生や上級生であっても、10歳以上は年が離れていないと「対等に見ない」
事が多く、恋愛もしたことがないのだ。(彼女のご主人も10歳以上年が離れてる)


彼女の口癖は、子供の頃から「運動?めんどくせー」「勉強?めんどくせー」「同級生と話す?めんどくせー」「電車?バス?めんどくせー」「仕事?めんどくせー」だった。


結婚した今でも「家事?めんどくせー」「友達と会う?めんどくせー」だ(笑)
結婚前に、一度だけ「仕事」をしたことがあるのだが、一年ぐらいで辞めている。
そこで今のご主人と出会った。
高校を「みんな幼稚でめんどくせー」と中退し、その後は、今で言う「ニート」だった。
両親もひとり娘で、夜の仕事でそれなりの貯蓄もあったため、彼女に仕事する事を
強要したりすることもなかった。
そのうち、一番上の兄が「自営業」を始め、その手伝いを、両親と彼女の3人でしていた。もちろん「給料制」であったため「楽」ではあったであろう。


そんな彼女は、常に「友達を作る」事もなかった。幼稚園・小学校・中学校・高校
会社務め・ご近所付き合い等々、彼女にしたら「友達など要らない」と言う。
「友達と会ったり、仕事仲間と会ったりするのは、めんどくせー。だったら家でゴロゴロ
していた方がイイ」と言う。


なにせ「携帯電話」を持ったのも、ここ10年前ぐらいだった。(ガラケーのまま)
理由は「電話する人も来る人もいないし、めんどくせー」だ(笑)
今だに「PCさえも持っていない」ほど「アナログな人」なのだ。


そんな彼女は、常に私に対しても「上から目線」だった。
私はスポーツが大好きで部活にも参加していたし、同級生とも恋愛したし、仕事もしていて、仕事仲間とアフターで食事したり、お茶したり、映画を観に行ったりするのが好きだった。
そんな私の話しを彼女は、常に賛同したり、仲間に入ろうともしなかった。
私が同級生・同僚などの話をすると常に彼女は「豪快に笑いその人をけなす」のだ。
もちろん、私自身の悩み事でも、真剣に話しを聞かず、アドバイスもせず、バカにした
大笑いをし、けなすのだった。
それは、50年経った今でも同じだ。


一番びっくりしたのは、私が8年間付き合った彼氏と別れた時「男なんてそんなもんだ」
と彼女は言っていた。挙句の果てには、私からの電話の最中にイビキをかいて寝る程だった。私は「この人は恋愛をしたこともないのに、随分と世間を知ってるんだなぁ」と感心した。
だが、勝手なもので、彼女は今のご主人と、初めて「恋愛」をした時、ご主人が彼氏だったころ、彼女は悩み泣きながら、私の職場に電話をしてきたり、夜中に電話をしてきたりしていた。職場に緊急でもないのに、午前中から電話をしてきて、そんな恋愛の話しをすること自体、彼女の「非常識」さには驚いた。
私は当時、病院での仕事だったため、午前中は本当に忙しく大変だったのだ。


ある日、パタッと彼女からの電話も来なくなり「もう、別れようと思うんだ」と最後に
言っていたので「あー傷心なんだろうなぁ。早く癒されて新しい恋愛をしてほしいなぁ」と思っていた3か月後に、いきなり、会社に彼女から電話がかかってきたのだった。


彼女は開口一番「あのさ、私結婚することになったんだ」と言う。
私は「ええ?新しい彼氏できたの?」と聞くと「いいや、今までの彼だよ」と言う。
帰宅して電話がまたかかってきて内容を聞くと、今のご主人には、昔結婚を考えてた女性
が居たのだが、間近になり、いきなりその女性の気が変わり結婚が破断になった事があったそうだ。それ以来、ご主人は「女性不信」となり、彼女と付き合っていた頃には
同じ目に合うのではないかと恐怖心から、結婚を匂わすような言動をしないと決めたそうだ。
だが、その事実を、彼女に打ち明け、彼女なら自分を裏切らないと思い結婚を決意した。
と言う訳だった。


彼女は、今のご主人から事実を打ち明けられた事、結婚を考えてくれた事、プロポーズを
された事で、電話での声もウキウキとしていた。
それからは、毎日の様に、私が仕事から帰宅すると「今日は結納の下見をしてきた」
「今日は結婚式場の下見をしてきた」「今日はウエディングドレスの下見をしてきた」
「今日は引き出物の下見をしてきた」「今日は新婚旅行はどこに行くか見てきた」
と電話が掛かってきたのだった。


当時、私は8年付き合った彼氏と別れたばかりで、傷心を仕事でごまかしていた。
長年の友人のお祝い事なので、なるべく、彼女に合せて笑って話しを聞いていた。
彼女は、私の「傷心」を分かっていた上で、自分の楽しい毎日を電話して話してくる。
「あんたにはさ、本当にお世話になったから、結婚式には来てね。ブーケをあんたにあげたいのよ」と言ったのだった。


だが、どんどん「結納」「結婚式」「披露宴」「新婚旅行」といろんな事が決まって行く中で、彼女から驚くような言葉を耳にしたのだった。
それは「ご祝儀」の事だった。
「お祝い金はさ、あんたの場合、付き合い長いし、3万円ね。」と言ってきたのだった。
当時、私は「傷心」の上に「失業」をしていて、ご祝儀どころか、結婚式に着て行く服さえも買えない状態だったのだ。
私は彼女に「あのさ、冠婚葬祭ってのは、お客さんに頂くお金で元を取ろうなんて考えたらダメだよ」と言うと、彼女は即座に「いいや、元は取らなきゃ!」と言ってきたのだった。「あんた、自分の友人達には、みんなそうやって金額言ってるの?」と聞くと
「当然!」と言ってきたのだった。


私も友人や先輩の結婚式には何回か出席したことがあったが、花嫁さんから「いくら包んで来い」などと言われた事は一度もなかった。
友人にも相談したが、誰もが彼女のその言動に、驚いていたのだった。
母親と父親にも相談した。
母も父も言葉にならない程、驚いていた。
「お前が、今失業してて、お祝い金もなく、式に出る洋服もなければ、お父さんもお母さんも、出してあげる。だが、長い付き合いだと言うなら、おまえの失業を知ってるのであれば、普通は、何も持ってこないでいいから、式にだけでも出てお祝いして、と言うのが本当でしょう?それを、おまえに3万円を包んで持って来いと言うなんて、呆れるよ」と
言われたのだった。


確かに、両親の言ってる事は理にかなってると思った。
私が逆の立場だったら、彼女が失業して、失恋の傷心してるのを知っていたら、まず、自分の自慢を毎日電話して言わない。ましてや、結婚式でのご祝儀を3万円包んで来いなどとも言わない。お祝いのお金など、後からいつでも渡せるから。
それより、なにより、一番お祝いしてほしいから、披露宴にだけは出席して一緒に祝って欲しいと言うであろう。


私は悩みに悩んだ挙句、彼女には悪いが手紙を書き「傷心してお祝いを喜んであげる程の心に余裕がないので、結婚式には欠席したい」と書いて渡したのだった。


今でも彼女にしてみたら「長年の付き合いなのに、結婚式に出てくれなかった」と恨んでいるのであろう。
でも、逆に、私自身も結婚式を挙げていないので、これで良かったと思う。


彼女との「エピソード」は他にもある。
私が結婚した時、夫の不貞と暴言から「うつ病」「パニック障害」「掌蹠膿疱症」と言う皮膚の病になったのだった。これは「自己免疫の病気」で、手足にだけ水泡が出来て真っ赤になってしまう病気なのだ。一種のアレルギーの病気なのだ。
それを知った彼女は「大丈夫?」でもない、開口一番「ええ?それ人に移るの?」と
大笑いしながら聞いてきたのだった。
「掌蹠膿疱症」は、自己免疫の病気なので、人には感染する病気ではないのだ。
私は彼女のその言葉にとてもショックを受けたのだった。


そして「うつ病」「パニック障害」と言う、メンタルな病気になった時も、「パニック障害」は、今まで普通に出来た事に「異常に恐怖感を覚え、発作を起こすと何もできなくなる」病気なのだ。私の場合は「電車や乗り物に怖くて乗れなくなってしまった」り「夜が怖くなり、家中の電気を付けておかないと寝られない」状態だったのだ。
それを聞いた彼女の言葉が「電車に乗れない??そんなんじゃ、生きていけないじゃん」と、また、大笑いしバカにした言葉を言ってきたのだった。
彼女のこの言動に、私はショックを更に受けたのだった。


長年の付き合いだからこそ、私は自分の病気を話したのに、大笑いされたり、バカにする言葉には、呆れた。


彼女の両親、特に父親は、私が子供の頃に、彼女に電話をすると(当時は携帯などない)
お父さんが出ると、からかう様に「娘?いますけど?」と言う、私が「代わって下さい」と言うと、聞こえる様に「おい、ちーちゃん(彼女)店やの娘から電話!」と言うのだ。それを聞いた、彼女と母親と兄は、電話口の向こうで、みんなで大笑いするのだ。
この父親、電話を代わる前に、私によく言う言葉があった。
「ブルムンちゃんのお母さんは、朝からしっかり化粧して、すごいね~」と。
それを聞いてる、千鶴ちゃんの兄、母、千鶴ちゃんと、電話に出た父親とで大笑いするのだ。
彼女の両親は「水商売」していたため、私の両親がお店を開ける事に帰宅してくる。
お店の前を彼女の両親がタクシーで降りて帰って来ると、お店の支度をしてる母親を
見て、そういうのだった。
朝から仕事をする女性なら、朝から「化粧」していて、何が不思議なのだろうか?
夜から仕事をする千鶴の母親だって、夜になれば「ガッツリ化粧」するであろう。
私の母親をバカした言動を、娘である私に言う、千鶴の両親には呆れた。
こういう両親や大人に囲まれて育った彼女は、それが普通だと思うのであろう。


彼女の両親が、私に対して、こういう事を平気で言う事、彼女自身も上から目線で物を
言う事の原因は分かっている。
私の両親が、彼女との付き合いを嫌ったからだ。
なぜ、嫌ったかも理由はあるのだ。
彼女が小学生のころだった、丁度「大阪万博」があった頃、彼女は大阪に親せきがいて
大阪万博に行くと言う、私には大阪に親せきも居ないため「いいなぁ~」と言うと
彼女は私に「私の親せきに大阪万博、ブルムンちゃんも一緒に連れてってと頼んでもいいよ。でも頼んで欲しければ、お店のお金を取ってきて」と言われたのだ。
私は行きたさに、お店のお金を「盗み」彼女に渡したのだった。
私の両親のお店など、小さいお店なので、レジのお金が無くなれば、すぐに分かる。
私が盗んだ事も分かってしまのだ。
私は両親に叱られ、彼女に言われた事を正直に話したのだった。
私の両親は、それ以来、彼女のこの言動を許す事が出来なかったのだった。
「小学生の子供が、恐喝まがいに、店のお金を盗んで持ってくれば、親せきに頼んでやるなどと、言うのは、親の影響としか考えられない。」と。
確かに、当時を思えば、小学生の低学年の子供が言う言葉ではない。
それ以来、私の両親は、千鶴と一緒に遊ぶ事を、とても嫌ったのだった。
千鶴から見ても、私の両親が毛嫌いし始めた事を知ったのであろう。
千鶴はその事を、両親に言ったのであろう。
その恨みもあり、千鶴の両親は、私に母親をバカにする言動をしたのだと思う。


千鶴ちゃんの悪い癖は、大人になってからもあったのだ。
一緒にお茶をしたり、食事をする時の会計にも表れる。
「消費税」が導入された時だった、お店を出ようとするとき「私の分ね」と言って
コーヒー代がたとえば500円とすると、500円しかテーブルに置かないのだ。
消費税分は、私が払うしかないのだ。
こういう所が「せこい」のだ。
たとえば「私の分、540円だけど、今40円無いから、ごめん、次回払うね」と言えば
気持ちよく了解する。消費税を忘れてるとは思えない。
千鶴ちゃんが消費税40円払えない程、貧乏なわけではない。
千鶴ちゃんのお金に対する事が「せこい」「えげつない」と思う事があったのは
これだけではない。
ある日、会う事になり、お茶をした。私はホットコーヒーを頼んだ、彼女はアイスコーヒーの上にバニラアイスが乗ってるのを頼んだ。
会計になると「ここは、私が払うよ」と言ったのには驚いた。
あの消費税も払わない彼女が??と、すると、次に会ってお茶をした時になると
「前回、私がおごったから、今回はブルムンちゃんがおごりね」と言う。
すると、私は毎回、ホットコーヒーなのに、彼女は、まず「かけつけ一杯アイスコーヒーの上にバニラアイスが乗ってるのを頼み、飲み干すと、次がブルーマウンテンと言う高価なコーヒーを頼む」のだった。これには驚いた。
相手に消費税だけを払わせるのだけでは物足らず、自分から「おごる」と言ったのは
私が安いホットコーヒーだったからなんだ!で、次回は私におごらせ、その時には
2杯も頼み、しかも、高価な物を頼むんだ!これをしたかったから「おごる」と言ったんだ!と呆れたのだ。


私の両親は「水商売が悪いとかではない。ただ、水商売をしてる人はお金にえげつない」と言っていた。確かに、父親の兄の子供も、水商売をしていて、かなりお金にえげつない事をしてたのを見てるからだ。


そんな彼女も、小学生の事から、自分の居場所を確実に持つためには、常に大人の言葉を言った方が良いと、思っていたのであろう。小学生の頃から、そんな彼女に一目置く教師ばかりだった。
挙句の果てには、彼女を気に入った教師からは「あんたは、ブルムンと付き合うな。あんたが悪い子に見られて損するから。」と言われたそうだ。


そして、彼女が中学生の時も、教師からは常に一目置かれる立場だった。
ある時「同じクラスの女子が妊娠した」と言う情報が、私の元にいろんな人経由で来た事があった。私はしらんぷりをしていた。だが、その妊娠した本人から私は相談をされたのだった。その子に「他には誰が知ってるの?」と聞くと「仲良しな美樹ちゃんと、担任と保健室の先生と、彼氏と、彼氏が相談した、千鶴ちゃん。」と言う。
そこ言葉で、謎が解けたのだった。


当時、千鶴と美緒と妊娠した彼女(としちゃん)の彼氏(藤本)の3人が、なにやら居合わせては、こそこそと話をしていた。私が近づくと、3人はバラバラになり、とてもイヤな気分になったのだった。
千鶴は私には、としちゃんが妊娠したことを一切言わなかったのだ。
藤本は、私とは仲良くはない。美緒は同じ部活で、同じクラスだった。


その後、何十年かして、その事で千鶴から「あの時はさ、藤本ととしちゃんがいきなり
うちに相談したい事があると来たんだよ。どうやら、としちゃんが妊娠して、どうしたらいいかと相談しにきて、担任と保健室の先生と家庭科の先生しか、その事を言っていないと。で、藤本が千鶴にだけは相談しようと思って、でも、ブルムンには言わないでくれって言うからさ。でも、私は、だったら、美緒にだけは言うよ、って言ったんだ。」と。


藤本も、千鶴も、美緒も、私には黙っていてほしいと言ったのは、噂が広がるのがイヤだったのであろう。だが、すでに、私は美樹ちゃんからも、本人のとしちゃんからも、相談されていて、そのほかの、数名からも情報が入ってきていたのだ(笑)
悪いが、私は「ペラ子」ではない。としちゃん本人が言わなくとも、一番のペラ子は
美樹ちゃんだったのだ。


千鶴にしてみたら、幼稚園前からの友人の私より、中学3年生で一緒のクラスになった美緒を選んだわけだ。だが、美緒はクリスチャンで、中絶反対な宗教人だったのだ。
この美緒ちゃんは、とても世渡り上手な人だった。
自分が誰についていれば、常に安泰な学生生活を送れるかをよく知っていたのだ。
教師に一目置かれてる千鶴にくっ付いていれば、自分は安泰な立場にいられると知っていたのだ。
この美緒ちゃん、結婚した今でも、奥様連中の中で、同じ事をしてる姿には驚いた。
千鶴にとっても、美緒ちゃんとなら、一生涯な友人になれると思っていたのであろう。
だが、高校生になり、美緒ちゃんと千鶴は別々な高校に行った途端、美緒ちゃんはあっさりと、千鶴とは連絡も取らなくなったのだ。


案の定、千鶴は今度は、そんな美緒ちゃんへのバカにする言葉を吐く様になった。
そして、千鶴は今度は「まなみちゃん」とつるむ様になった。
この「まなみちゃん」一言で言うと「オキャンピー」な子なのだ。
小学校・中学校も同じ、ずっとオキャンピーな子で、苦手だった。
結婚して母親になっても、それは変わらなかった。
常に何かに、オドオドしてる様な感じの人。
なぜ、千鶴が「まなみちゃん」とつるむようになったのか、不思議だ。
千鶴も、確か、オキャンピーな人は大の苦手だったはず。
千鶴の社交的では無い性格と、まなみちゃんには常に上から目線で居られる事が
心地よいのかもしれない。


千鶴とは、毎月一度、電話が掛かってきた。
冬に電話が来て話し、切る時には「寒いから、暖かくなった春にでも会いましょう」と言って電話を切る。春になると「花粉がすごいから、初夏になったら、会いましょう」と言って電話を切る。初夏になると「暑いから、涼しくなった、初秋になったら、会いましょう」と言って電話を切る。そんな一年で終わり、結局、何年も会えないでいた。


私は単純に「更年期もあり、辛いのだろう」と思い、無理に外に誘うのも遠慮していた。


だが、2014年に千鶴の母親が他界し、3か月後に伯母が他界した時、葬儀に出席した。
「家族葬」だったのだが、私は千鶴の母親や、伯母さんには、子供の頃からよくしてくれたし、私の父親の葬儀の時にも来てくれたこともあり、出席をさせてもらったのだ。
その時、千鶴の兄が「え?二人が会うのは5年ぶり??でも、まなみとは会ってるんだよね?」と千鶴に言っていたのだ。
千鶴も「そう、まなみとは、頻繁に会ってるよ」と言っていた。


私はその時に「あー会いたくないのなら、私から電話する事はやめよう。無理に外に誘うのも辞めよう」と千鶴とは、一線を引こうと思ったのだ。
お互いに、両親も他界し、葬儀出席の義理は果たした。
50年来ではあるけど、電話が来る時は対応するが、私からは電話はしない。
あとは、年賀状だけのやり取りで良いのではないか。と思った。


私は「長年の付き合いだから」と、千鶴ちゃんの悪い癖を大目に見てきたけど、年数ぢゃないんだと思った。


私は私で、いろんな場所での友人を作ってるし、そういう人達との関係を大切に出来る人と会った方が、いろんな意味で自分を向上できると思った。