昨日は「母の日」
母が他界しても、毎年同じように「カーネーション」母が大好きだった「おこわご飯」「お刺身」「ワイン」など、母が生前大好きだった物を、仏前にお供えする。
今年もお供えした。
毎回「かあさん、大好きだった物だよ、もう、何も心配要らないから、食べてね」と言う。
そして「生きてる内に、美味しいマグロのお刺身食べに行けなくてごめんね」と言う。
毎年「母の日」と「誕生日」には、母との思い出がよみがえる。
「他界した年の母の日は、母はどんなに喜んだ顔をしていたかな?」とか
「誕生日のプレゼントを見た母は、どんな顔と言葉を言っていたかな?」とか。
2012年12月に特養施設に入所したので「2013年から毎年の母の日は、カーネーションと母の大好きなイチゴのショートケーキと、パジャマを持って、特養施設に行ったなぁ、母はまだ元気で、カーネーションを見ては、わぁ~キレイねぇ~見える所に置いておいて、って言ってたなぁ、イチゴのショートケーキも、ペロリと美味しいと言って食べていたなぁ。」とか。
「2013年・2014年・2015年と、母の日と、誕生日を施設で一緒に迎えたんだなぁ」とか。
「それまでの、在宅介護の時は、入院もあり、病院で母の日や、誕生日を迎える事もあったなぁ」とか
「ずっと、私も体調が悪かったり、遠方に嫁に行き、なかなか、思う様に母の日や誕生日
を迎えてあげれてなかったなぁ」とか。
今は携帯での「写メ」があり、記録に残せておけるが、携帯電話が無い時代もあり
「写真やビデオで記録を残せておけば良かった。」とつくづく思う。
どんな母親でも、やはり「母親」と言うのは、偉大なんだと思う。
私は子供に恵まれず「母親」にはなれなかったけど、子供を思う母親と言うのは
やはり、すごい事なんだと思う。
「敬意」と「尊敬」に値するんだと思う。
「妊娠出産」から「子育て」から「家事」からのすべてをする「母親業」ほど
もっと報われるべきだと思う。
天国の母さま、ありがとう。
そして、世界中の母さま、ありがとう。
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