Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「夫」出会いから初の海外旅行

「父親」の事、「母親」の事を綴ってきた。
次は「夫との事」を綴って行こう。


彼(夫)とは1990年に知り合った。
付き合ったのは1年半ぐらい。
2001年に入籍をした。私が35歳、夫も早生まれの35歳。夫は再婚、私は初婚。
結納も、両親ともの顔合わせも、結婚式も、披露宴も、ウエディング写真も無しだった。
この理由は、すべて、夫側の「学歴主義者差別」によるものだった。(後に記載)


当時は、パソコンでいろいろな「コミュニティ」があった。
そこで知り合ったのだった。「ヨーロッパが大好きなコミュニティ」だった。
知り合った頃、彼は北陸に住んでいた。私は横浜だった。
会う時は、彼が「出張」で東京に来る時か、週末、私が仕事が終わり、その足で羽田空港
から北陸まで行き、日曜の夜に横浜に帰って、翌日に仕事に行く。と言うパターンだった。


彼は、知り合った頃「俺はバツイチ。2年前に前の嫁さんから勝手に離婚届を送られて来た。」とだけ聞いていた。「なぜ?」とは思ったものの、夫婦には、その夫婦にしか分からない事は沢山ある。変な詮索はしたくないと思ったので、根掘り葉掘り聞くことはしなかった。
だが、彼から、よくよく話しを聞いているうちに「???」と思う事もあった。


前の奥さんとは「大学時代の同級生」夫曰く
・「結婚するつもりは無かったが、周りからそろそろきちんと結婚した方が良いと
  言われ、やむ終えず入籍だけした。」
・「元嫁さんは結婚したら、仕事を辞めて、専業主婦になりたかったが、入籍して
  すぐに俺はアメリカに単身で行った。俺のアメリカでの稼ぎだけでは元嫁さんに
  仕送りは出来ないので、元嫁さんは、そのまま大学で仕事をしてもらった。」
・「クリスマス・年末年始・夏休みになると、元嫁さんがアメリカまで来てくれたので
  助かった。」
・「入籍してからは、一日も一緒に暮らした事はなかった。」
・「数年、その状況が続き、いきなり、元嫁さんから、離婚届だけが送られてきた。」
・「俺は、すぐに離婚届に署名捺印をして、元嫁さんに送ったが、元嫁さんはすぐに
  離婚届を役所に提出していなくて、俺は困った。」と言っていた。


私は「なぜ?きちんと、元奥さんと話し合いをしなかったの?」と聞くと
「元嫁さんは、一度嫌になったら、同じ空気も吸うのも嫌だと言うくらいの女だから」
と言っていた。


私の中で納得はできなかったものの、私の知りえない事情が、この二人にはあったので
あろうと、思うしかなかった。


そして、2000年の春に彼が「海外旅行に行こう。ヨーロッパに行こう。」と言って来た。私はほとんど、海外旅行などしたことがなかった。彼はよく海外には仕事でも旅行
でも行く事が多い。語学も堪能だ。私はとても楽しみにしていた。


そして、丁度、その頃、私の父親が「体調が悪い」と言うようになった。
健康だけが取り柄だった父親が、自分から「体調が悪いからお父さんは病院に行く」と
いうのは、本当に珍しい事だった。
そして、検査をしていく内に「肺の精密検査のため入院する」こととなった。
父親は、私と彼が海外旅行に行くことを「若いうちに出来る事はやっておきなさい。」と
海外旅行に行くことを勧めてくれた。
丁度、私が海外に行く時に、父親の入院が重なった。
旅行を延期しようかと思ったが、父親が「今行っておきなさい。お父さんは大丈夫だから」と言っていた。だが、彼に旅行の延期を申し願いしたのだが。。。。
彼の言葉は「今更、延期って、旅行先の宿泊先や、飛行機などの予約もして、金も払った
今、キャンセルすると、キャンセル料を払わなければならない。君が払ってくれるのか?」と言ってきた。
確かに、旅費のほとんどを、彼が払ってくれているので、私も強く出ることが出来なかった。


そして、旅行に行くこととなった。最初は「フランスのパリ」だった。
フランスのパリのホテルに到着し、母親に電話を掛けた。
電話口に出た母親が「あんた、全く何をやってるの!お父さん、検査のために入院して
細胞を取る手術をしたら、肺と背中の皮膚が癒着してて、急きょ大手術になったのよ!」と。
それを聞いても、もう、フランスに来てしまった以上、どうすることもできない。
また、彼に「こういう状況だから、明日にでも日本に帰国する」といえば、また
「キャンセル料を君が払え」と言ってくるであろう。
とても、私にはすべてのキャンセル料など払えるお金もなかった。


それでも何とか、10日間の旅行を済まそうと思っていた。
毎日、母親には父親の様子を聞きに電話をした。
彼は「そんなに毎日毎日、日本に電話をしていたら、電話料金だけでも高額になる!」
と嫌味を言うのだった。


私にとってヨーロッパは初めての海外旅行、飛行機に10時間以上乗ったのも初めて。
ヨーロッパは夏でも朝晩と昼の気温差がある。
長旅の疲れと緊張感や、パリの昼と夜の気温差から出たのか、夜中に足のふくらはぎが「こむら返り」になってしまった。
痛くて痛くて、足を床に着く事も、歩く事もできない。
足を温めようにも、日本の様なお風呂ではなく、シャワーだ。
私は足をさすりながら、痛みに耐えていた。


翌日、本来ならば、フランスの街中を観光する予定だった。
だが、私の足はとても、街中を歩ける状態ではない。
彼には「今日は、悪いけど、ホテルでゆっくり休んでる」と言った。
だが、彼がいきなり怒り出した。
「俺はここに観光に来たんだ!君が足が痛くて歩けないのは勝手だしホテルで休むのも
勝手だが、なぜ、あなただけでもひとりで観光してきてって言えないんだ!」と。
私は、彼のこの言葉にあっけにとられた。
同時に、自分の体調不良が原因なのだから、と言う罪悪感もあった。
英語も話せない私には、たとえば、救急を呼びたくても、フロントを呼びたくても
英語を話せる彼がそばにいなければ、私ひとりではどうにもならない。
まさか、体調の悪い彼女を放って、自分だけ観光しろと言うものなのか?と分からなくなった。


今はそれより、父親の容体の方が気になった。
とにかく、早く旅行の日程が終わり、父親の病院へ向かいたかった。


この海外旅行の時、彼は常に言ってた言葉がある。
「俺は、海外旅行に買い物をするような、バカな日本人が大嫌いだ。観光旅行は
いろんな場所を見るだけに限る。」と。
そんな調子だ、父親が海外旅行に行くことを勧めてくれて、お土産代も持たせてくれた
のに、口紅ひとつ買いに行こうとすると「君ひとりで行け。俺は君の通訳じゃない」と
言うのだった。
元々、この旅行での行先も、宿泊先も、決めたのは、すべて彼だった。
彼が溜まったマイレージで行くのを、私の分も出すと言うことだったので、従うしかなかった。
今思えば、買い物もできない、行き先も相談して決めれない旅行ほど、つまらないものはない。


そして、フランスの次は「チェコのプラハ」だった。
チェコは、ハッキリ言って「プラハ」ぐらいしか、パッとした場所がない。
他の地は、寒々しいちょっと怖い静けさのある場所だった。


この地に着いた時、彼は私にこう言った。
「何かあったら、別々に逃げよう。その時のために、クレジットカードを君に渡しておくから」と。
その時は、確かに別々に逃げるのは良いかもしれない、と思ったのだが、海外在住の知人に話しをしたところ、とても驚いていた。(イタリアに住む彼の同僚の奥様)
「別々に逃げて、犯人たちが追うのは、男性だと思う??たいていは、女性だよ!
金目の物を奪うほかに、レイプする2度おいしいのだからね!なんで彼は自分の彼女を
安全に逃がすとか、かばうとか、考えないの??」と、怒っていた。
確かに、そういわれてみれば、そうなのだ。
無事に犯罪に巻き込まれなかった事だけが幸運だった。


そして、最後に行った場所は「南イタリア」だった。
この地は、彼の同僚夫妻が、赴任した場所で、遊びに行くと言う名目だった。
私は初めて会う夫妻だった。
奥さんは、英語はペラペラで、イタリア語も数年の赴任で習得した。
とても行動力のある奥様だった。私よりは年下だったが、流石と言う感じの女性だった。
たまたま、話しの合う奥様だったので、二人でいろんな話しをした。
この何かあったら別々に逃げて.....と言う話しをしたら、この奥様が言った言葉だ。
「イタリアは、治安の悪い場所が多いから、本当に気を付けてね。絶対に女性ひとりでは歩かないようにね!特に夜はね!カフェでひとりでのんびりなんて思っちゃダメよ!
今度、彼に何か言われたら、あなたひとりでも、ホテルでドアに鍵かけて居なさい」と。
パスタの美味しいレストランで食事をし、いろんな話をし、楽しい時間は過ぎた。
のちに、日本に帰国してからも、この奥さんとは、ご縁があった。

だが、この女性、キャリアウーマンだけあり、かなり「行動的」な人。
ゆえに、私のように、病気や悩み事で「動けない」事に理解がない。
後に、私の我慢が限界となり、この女性と言い争いになり、ご縁が切れる。

そして、イタリアの宿泊先で「これから私たちはどうなるの?」と彼に聞いてみた。
彼の今までの言動に首をかしげる場面もあること、遊びで付き合うには30歳を超えた
私には無理がある事、を感じたからだ。
彼の返事はこうだった。
「君との結婚はしたいと思ってる。だが、今は職場で俺は肩を叩かれてる状態であって
次の職場を探さないと、結婚しても生活が大変になるから。」と。
「私とはきちんと結婚する気はあるのだ」と、その時は思った。
職場の事は、私があれこれ言う立場ではないため、彼の言葉を信じるしかないと思った。
当時は、まさか、この言葉が彼が愛人を作り、セフレを作る「逃げ口上」になるとは
夢にも思わなかったのだ。


そして、無事に海外旅行も終わり、私は父親の病院に見舞いに行ける事となる。
だが、すでに、父親には「癌」と言う病魔が襲い、余命宣告を受けるとは思ってもいなかったのだった。