Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」右大腿骨骨頭骨折壊死

母が「脱腸」となり、無事に手術も終わり、術後の経過も良好で退院してから
すぐに「まだ、下腹部が痛い」と言い、整形外科で診てもらうと、今度は
「恥骨・坐骨」骨折との診断。自然治癒しか方法がない部位のため、痛みと闘い
ながら、母は痛み止めと、塗り薬で、耐えた。


そして、整形外科には、毎月経過を見せに、レントゲン検査をしながら様子を見ていた。
そして「あのね、右の大腿骨骨頭、太ももの付け根が骨折してるね。これは、手術して
人口関節にしないとダメなんだよ。人間の関節は骨と骨との間に、クッションになる軟骨があって、その周りを靭帯って筋が関節が外れないように守ってるんだよ。でも人口関節
は金属で出来てるから、靭帯ができないんだ。だから、外れる事もある。それと左右の
足の長さが違ってしまうんだ。それは、片方の靴のかかとの長さを調節すればよいから。
でもね......恥骨・坐骨の骨折に、脱腸に、今回の大腿骨骨頭の骨折と言い....なんで?
お母さんに聞いても、転んでも、強打したこともないって言ってるけど、本当は転んだんじゃないのかな?娘さんに叱られると思って言わないんじゃないの?」と。


そして、信じられない事に「いや、厄払いに行ったほうがいいよ。冗談抜きで。短期間にこんなに骨折やらが続くのは、おかしいよ。」と言ってきたのだ。


私自身も、こんなに短期間で、腰のまわりばかり、痛い目にあって、どういう事なんだろうか?と思った。
母にも「怒らないから、正直に言って、本当は転んだの?」と聞いても「転んでないのよ、先生も看護師さんも、そう聞くんだけどね。まぁ、強いて言えば、ゴミ収集場所のコンテナに腰をぶつけたぐらいかしらね......」と言う。


私も考えられる事を考えてみたが、転ぶとしても、家の中であれば、壁や手すりにつかまりながら歩行するし、狭い家の中、そんなに歩く必要もない。
では、歩くと言うと、外に出た時しかない。
手押し車がつまずいて転んだとしても、前に転ぶはず、そうなれば、手や顔などに傷が出来るはず。だが、手も顔も肘も傷ひとつない。
次に車止め防止の鉄の柵につまずいたか?と思ったのだが、これも、母の膝ぐらいの高さのため、前に転べば、顔をもろに打つであろうし、後ろに転べば、頭を先に打つであろう。もちろん、顔も頭も「たんこぶ」「打ち身」の後はひとつもない。


そして、母が言う「ゴミ収集場所のコンテナの手すりに腰をぶつけた」と言うのだが
171センチの私の身長で、やっと、コンテナの手すりは、腰あたりに来る。
150センチ足らずの母の身長では、コンテナの手すりは、胸あたりになる。
コンテナの手すりに腰をぶつけたと言うのは、考えられないのだ。


そして、入院の手続きをして、また、手術だ。
術前に手術の説明を聞くために、先生呼び出される。
そして、また「同意書」にサインを何枚も書くように言われる。
その同意書も一枚一枚読まなければならない。
輸血をする場合の同意書も。輸血の際の「肝炎」「エイズ」などの感染のリスクの
説明もされる。
そして、手術が終われば、今度は「リハビリ」をしないとならない。
左右の足の長さが違ってしまうため、その感覚を母が覚えるためだ。
それと、人口関節にしたことで、いままでの歩行とは違ってくる。
そのリハビリに時間がかかると言う説明だった。


そして、手術当日、血圧も発熱もないため、手術に向かった母。
「じゃあ、またあとでね。大丈夫だから安心して行っておいで」と母に言う。
母は「うん、またね」と手を振って手術室に入った。


そして、時間にして5時間ぐらいだったかと思う。
手術室から出てきた母は、麻酔でもうろうとしてる。
酸素マスクをしていた。
「母さん、よく頑張ったね、もう、大丈夫だからね」と言った。
母は、首を縦にふり「うん」と言っていた。
しばらく、麻酔が覚めるまで、ナースステーション隣の病室で心電図を付けながら
私は母に付き添った。


先生が手術の説明をするため、私を呼んだ。
「手術は無事に終わりました。あのね、骨折してた骨、ドロドロに溶けていたんだよ。
なぜ、こんなになるか、私にも解らないので、検査機関に送っていいか?」と聞くので
了承した。
レントゲンを私に見せながら、説明する医師。
「これから、しばらくは、術後の経過を見て、歩けるようになったら、リハビリをします。」と言う事だった。


そして、母の様子を見に病室に行くと、母は麻酔から目覚めていた。
「痛い?」と聞くと「うん」と言う。愚問だったと思ったが、声をかけるのも気が引けた。母が突然「お父さんがね、迎えに来てくれないのよ。」とかなり気弱になってるのか、私は「父さんが迎えに来ても、まだまだ、そっち(天国)には行けないからね!って
突っぱねてやりなさいよ!」と言うと、母は笑っていた。
そして、私は家路についた。


これからもっと過酷で壮絶な事が待っているとは、思ってもいなかった。