Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」この病院からの不条理な要求

整形外科の若い医者の判断で、右足を膝下から無くした母は、なんとかリハビリを
する状態まで来た。
理学療法士・作業療法士によって、リハビリをする毎日となった。
この病院で、唯一救いようがあったのが、このリハビリの療法士さんたちが、親身になってくれた事だった。
なんとか、義足が付けれないかどうか、有名な義肢を作る職人さんを呼んで母の状況を
見てくれたりした。
一時は「この状態であれば、義足をはめる部分に工夫したら、使えるかもしれない」
と言ってくれる所まで話しが来たこともあった。
だが、整形外科の若い医師は、とにかく、義足をつける事に反対だった。
母も「可能性があっても、もしもの事があった時、また手術するのはイヤだ」と言う。
結果、義足は着けない事になった。


そして、車いすの訓練をする事になった。
残った左足で、どうやって重心をかければ、移乗できるか、など、療法士さんたちも懸命に付き添ってくれた。


ある療法士さんが私を呼び、話しをしてきた。
「人口肛門になったそうだけど、直腸窒ろうは、どうにかして治らないのか?ネットで
いろいろ調べて、他の病院で診てもらった方が良いよ。このままだと、お母さん、可愛そうだよ。それに、人口肛門も簡易的に作ったと言うけど、それでいいの?」と言ってくれたのだった。


人口肛門の状態があまり良くないのだ。
理由は、母のおなかの皮膚が、人口肛門を付ける際に、粘着でかぶれてしまうのだ。
皮膚科の先生にも診てもらったそうだが、「もう、ストマー(人口肛門に着ける袋)
は、一生使わない方が良い。人口肛門の所に毎回、ガーゼを当てて、過ごすしかない。」
と言うのだ。


ストマーであれば、便がもれることも、においもない。
だが、ガーゼだけだと、もれてしまうし、においも気になるのだ。


そして、私も人口肛門についていろいろ調べてみた。
どうやら、その人に合わせて、いろいろな形態があるらしい。
その人にどんなストマーが合うかは「ストマー外来」と言う科に通院しないとならない。


その後、外科医から、話しがあると呼び出された。
執刀医ではない。
「お母さんのストマーだけど、これからは、ストマー外来に通院を一生しないとならない。ここの病院には無いので、ご家族がストマー外来のある病院を探してください。」と。


私は自宅に戻り、ネットで「ストマー外来」がある病院を探してみた。
そして、一軒一軒、電話をして母を診てくれるか聞いてみた。
ところがかえってくる言葉はどこも「うちの病院で人口肛門を作った患者さんでないと
ストマー外来は受けられません。」と言うのだ。
経緯を説明しても「それなら、その病院の外科の先生に、ストマー外来のある病院を
紹介してもらって下さい。」と。


そして、外科医にその事を伝えると「そうですか、私個人としては、ストマー外来の
看護師は知ってるんですけどね.......紹介してあげても良いのですがね.......」と言うのだ。
なんとも歯切れの悪い返事だ。
それからは、その外科医は、紹介もなにもないままになった。


途方に暮れていた矢先、ネットである大きな公立病院の「ストマー外来の看護師がブログ」を綴っていたのだ。
早急に、そのブログから、その病院に電話をした。
今までの経緯を話した。
そのストマー外来の専門ナースは「え?ストマー外来もないのに、人口肛門のオペをしたんですか??ご家族に自分で見つけろって??皮膚科の先生は一生ストマーを使わず
ガーゼを当てておけって??そんなの、間違ってます。必ずその人に合うストマーはありますから。すぐに予約して、ここに来て下さい。お母さん、このままでは可哀想です。」
と言ってくれたのだった。


そして、その病院のストマー外来に予約を取る事ができたのだった。


同時に、入院してるこの酷い病院から「退院に伴い」と言う事で、呼び出されたのだ。
話しの内容は「お母さんは、これから、一生車いすでの生活になる。しかもひとり暮らしでは、介護保険があっても介護は無理。娘さんが引き取って面倒を見るか、もしくは
ここの病院の隣に、特別養護老人ホームがあるから、そこに入所させたら早い。
これから、特養に申し込んでも、早くても半年1年はかかる、入所を待ってる高齢者が
何百人と居るから、3年かかる事も多い。」と言ってきたのだ。


母を引き取って面倒を見ることは、夫に甲斐性があれば、出来たであろう。
だが、夫は長男「将来は自分の親を引き寄せて面倒を見る」と勝手な事を言ってる。
とても、母を引き取って面倒を見てあげる状況ではないのだ。
母本人にも、話しをしたが、母も私の夫に散々、嫌味やひどい言葉を言われてきた。
母にとっては、自分の娘にもひどい事を言う義理の息子とは一緒に暮らす事を嫌がった。


この病院の地域連携の人からは、一週間に何日も、私の携帯に電話があり、この病院の
特養に入所するようにと、しつこく言って来るのだった。


それを断ると、今度はこう言ってきたのだ。
「お母さんの状況だと、療養を目的とした病院に入院するしかない。その病院のリストを
作ったので、空きがあったら、入院しなさい。費用は月々30万くらいだから。」と
母の年金と、父の遺族年金を足しても、とても、月々30万など無いのだ。
それを言うと「では、足りない分は、娘さんがなんとか出しなさい。ご主人に言って」と。そして「とりあえず、空きのある療養型の病院に面談に行きなさい。」と。


その病院は「鎌倉市」にあると言う。
夫と二人で、その病院に行って面談をしてきた。
一番は費用の問題。
その事を聞くと、やはり「月々、30万はかかりますね。」と言う。
とても無理だ。
環境は良かったが、面会に行くのも、鎌倉市だと遠い。
お断りした。


そして、それを知った、地域連携の人が、また、私に電話をしてきて、どうして断ったのか?折角、空きがあったのに、と、必要以上に聞いてきたのだった。


そして、知り合いの看護師にも相談し、看護婦長をしてた人が、ケアマネをしてるので
その方にも相談した。
「とにかく、一日も早く、退院に向けて、ケアマネを探しなさい。それから、特養の件や、今後の介護について話なさい。」とアドバイスをくれた。


そして、NPO法人でのケアマネを紹介してくれた。
「ここなら、ケアマネへの費用も介護保険からかからないから、介護保険はまるまる
お母さんの介護に使えるから」と言ってくれたのだった。


すぐに電話をして、詳細を話した。
とても、親身になってくれたケアマネさんだった。
すぐに、介護度の申請と、身体障碍者の重度への申請をするように調べてくれた。
そして、介護保険と、身体障碍者の介護を使えるように調べてくれたのだった。
やっと、それで、母に必要な最低限の介護が受けれる事を知った。


私自身も、調べて行くうちに、いろいろと勉強になった。
すぐに、役所に行き、身体障碍者の階級も「2級」に上がった。
そして、介護度数も「介護4」「介護5」と上がった。


母は「要支援」の時とは全く違い、「身体介助」「食事介助」が主になった。
ただし、母の場合は、切断した足の処置が必要になる。
「訪問看護」も必然となるのだ。だが、介護保険で一番点数が高いのが、この「訪問看護」なのだ。
それに加え、母の住居では、この「訪問看護」をする看護師が非常に少ない事が分かった。訪問介護にしても、介護事務所にしても、何か所が掛け持ちすることも可能なのだが、母の介護適用点数内でやるには、ひとつの事務所で依頼した方が価格もかからない
と分かった。その限度を超えると「自費」になってしまうのだ。


このころと今では、介護保険の認定も、コロコロ変わるので、違うのであろう。
今は「要支援」は無いし、介護度数の申請も、このころは、厳しくなかった。


なんとか、この親身になってくれたケアマネさんと、いろいろ相談しながら、母は無事に退院し、ひとりで暮らす道を選んだ。


だが、この後、母にとっても、私にとっても、もっと酷い出来事が待ってるとは思いもしなかったのだった。