「母」特養から入退院
2012年12月に、母は特養に入所した。
2013年は、母も特養での生活を、本を読んだり、テレビを見たり、みんなでゲームを
したり、裁縫をしたり、車椅子であっても、活発に動いて、その生活を楽しむ様に
努力していた。
母に言わせると、入所して生活してくると、スタッフの「がさつさ」や「やるべき事を
やらない」「親切な対応するスタッフと、不親切な対応のスタッフの差が激しい」
「痴呆症の方が多く、話し相手が居ない」と、段々分かってきたそうだ。
母なりに、ストレスも溜まって行ってしまったのであろう。
私もなるべく「GW」「夏休み」「年末年始」には、母を自宅に呼び、過ごそうと
思っていた。
だが、母の「日記」を読むと「ここの人は、見舞いにも来てくれる家族がいなかったり
帰る家の無いひとばかりだ。私だけ娘の家に世話になるわけには行かない。
娘の家には行かないようにしよう。私もなるべく、ここの特養で過ごそう。」と書いてあったのだった。
2014年に入ると、母は特養で体調が悪くなり「入退院」を繰り返す事が
多くなり始めた。
母の入退院の原因は「誤嚥性肺炎」「心不全」「栄養不良」が主だった。
「吐き気がして、食事ができないのよ。」と言い出した母。
特養の医師からも、吐き気止めを用意して飲んだが、どうにも良くならない。
無理に食べれば、吐いて、その吐いたものが、気管に入り「誤嚥性肺炎」となる。
嘔吐すると、必ず、高熱になる。
経口での食事ができないと、栄養も身体に回らない。
みるみるうちに、母は痩せて行く。
それによって、血液の循環も悪くなり、手足まで酸素も血液も行かなくなる。
切断した箇所が、壊疽して行く可能性も出てくるのだ。
一番厄介だったのが、「特養」に入所してから、体調が悪くなると、特養のおかかえ医師
が診察に来るのは、週に2回しかないのだ。「特養」の特性から「看取りの場」であるため「積極的治療はしない」のが原則なのだ。
まずは、看護師から、私に連絡が来る。
「救急搬送するかどうか、ご家族で決めて下さい。その場合、かかりつけの病院には
搬送されませんので、ご理解下さい。」と言われるのだ。
体調が悪い人の目の前に、看護師であれば、救急搬送するかどうかの判断は出来るであろう。だが、それを家族に決定をゆだねるのは、いかがなものかと思う。
要するに「ご家族が、救急搬送をしないと決めた場合、患者さん本人の意思にかかわらず、亡くなっても良いとご家族が判断したと見なします。」と言う事だ。
私にはとても、母を死なせる事に黙認は出来ない。
救急搬送して適切な処置をすれば、生きられるかもしれない、からだ。
「老衰」とは違う。
母は何度も入退院を繰り返し、そのたびに、特養の看護師とはイヤな言葉を言われた事か。
「お母さんは、娘さんには迷惑をかけたくないと言ってる、お母さんの意思を尊重してあげた方が良い。」と言われる。
親なら、誰もが、年取って「子供に迷惑をかけたくない」と思うのは、普通だと思う。
それと、現実とは違うのだ。
ある日、特養の看護師の責任者から連絡が来た。
「お母さんの身体にアザが沢山できてるの。これは、飲んでる薬の副作用で、血液をサラサラにする薬には、毛細血管が少しの衝撃で、すぐに切れてしまい、内出血してしまうの。ご家族がお母さんの状態を見たとき、虐待があった、と思われたくないので、一度
お母さんの状態を見に来て下さい。」と言われたことがあった。
確かに、アザの集中してる場所が、二の腕から胸囲が多く、看護師の話だと、ベットから車いすに移乗する時、両脇をスタッフひとりが、抱え、両足を、もう一人のスタッフが抱える時に、内出血が起きたと説明があった。
すぐに、施設の看護責任者が「今後は、両脇と両足を抱えて、車椅子に移乗はさせない。
大きな、バスタオルに、布で手すりを付けて、バスタオルの端を持って移乗させましょう。」と言う事になった。
敏速で適切な対応に感謝した。
そして、車椅子も、母の場合、下肢切断のため、ひざから足を下げていると、切断面に
良くないため「膝を延ばせるような器具を当てて欲しい」と整形外科の医師から言われた。だが、特養の性質上「入所者全員で使えるもの以外は、個人で用意すること」とあるのだ。レンタルの身体障碍者用の車椅子の申請を聞いたが、役所は「用意できない。特養で使うものであれば、特定の人が使うものでも、特養で用意してもらってくれ。」と言う。
個人で買うとなると、医療器具となると、本当にお値段が高いのだ。
すると、特養の男性のケアマネさん、まだお若いのだが、母の事を熱心に対応してくれた方がいたのだ。入院するたびに、見舞いにも来てくれたのだ。
そのケアマネさんが、自分で、車椅子の足の部分に、木製とねじを工夫して「カバー」を作り、取り付けてくれたのだった。
母は、ずっと、足に何がぶつかることを恐れていた。
そのため、みんなで集まるレクリエーションの時など「怖いから行けない」と言って
いたそうだ。それを聞いていた、男性ケアマネさんが、母を不憫に思い、作る決心をしてくれたのだった。私と母は、本当にこのケアマネさんに感謝した。
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