Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」生い立ち

母親は7人兄弟がいる。
昭和初期、東京の下町で生まれ育った。
母親の父は、早く他界した。
母親の母は、私が生まれて間もなく他界した。
私は、母方の祖父母の記憶もない。
母親は「関東大震災」の時に、東京から長男のいる「福島県」に疎開した。


長男(福島県)・次男(神奈川県)・三男(東京)・四男(神奈川県)
長女(沖縄県)・次女(母)(神奈川県)・三女(神奈川県)それぞれ結婚し移住した。
家系的に「心臓疾患」だったらしく、母親の両親共、心臓病で他界した。


そして、長男も、次男も、三男も、長女も、「心臓疾患」で他界した。
四男と次女(母)は「心臓疾患」と「膠原病」で他界した。
三女は存命だが、現在「心臓疾患」で入院中だ。


母親は特に、子供のころから「虚弱」だったため、自分の親からは
「お前は、身体が弱いから、学校など行かなくてよい、家で家事と兄弟の面倒をみろ。」と言われていたとよく言っていた。
高校や大学に行くのは、経済的にも兄弟を優先されたそうだ。
よって、母は小学校もろくに行けずに「読み書き」ができなかったのだ。


それもあって、私にはよく「勉強をしなさい」と言っていたのであろう。
母はとてつもなく「努力家」だ。
「読み書き」ができないことで、みじめな思いをしたのであろう。
ずっと「漢字辞書」を片手に、大学ノートに同じ漢字を1ページ書いて覚えていった。
本や新聞を読み、分からない漢字があると、それをノートに書き、練習をして覚えた。


両親は「小売業」を営んでた。
私が小学生のころ「領収書」をお客さんが書いてくれと言われると、いつも私が代筆し
ていた。それ以外の書類には、いつも、父親が書いていた。


だが、母には「すごい記憶力」があった。
兄弟はもちろんのこと、甥っ子姪っ子、近所の人たちの誕生日や結婚記念日や、命日など、覚えていた。


母がどういう生い立ちをしてきたか、母親も父親同様に、あまり語らなかった。
ただ、初めて仕事をしたのは、父親の師匠の家で「家政婦」として働いてたこと。
その前には、住み込みで、働いていたこと。
これは、父親の「兄嫁さん」から聞いた話と、近年、母の口から聞いたことだ。
やはり、虚弱だったせいでもあるのだろう、あまり長くは続かなかったそうだ。


母を見てきて、母はずっと、ずっと、兄弟の犠牲になり、生まれ持った持病と闘い
我慢と忍耐の日々だった気がする。
母自身も、自分が虚弱な身体なことに「負い目」を感じていたそうだ。


兄弟7人ともなると、それぞれ性格や容姿も違う。
長男(福島県)温厚で無口な人 とても心優しい 身寄りのない兄妹を引き取り育てた。
先妻さんは、早くして病気で他界。のち、後妻さんが娘を連れて再婚。
後妻さんは、とても明るく、遊びに行くと本当に優しく手料理を食べさせてくれた。
現在は長男も他界し、後妻さんの娘が婿さんを迎え、暮らしている。
(お節介な婿さんで、後々、親せきでいろいろある。)


次男(神奈川県)長男に容姿は似て、性格も似てる。温厚で無口な人。娘と息子がいる。
やはり、早くして心臓病で他界。妻さんは、とても優しく、面白い人。惜しくも他界した。現在は息子夫婦が家を継ぐ。息子の嫁さんと、娘さんが仲が良くない。
今は私もこの息子さん夫婦とは繋がりがある。(ここもまた、息子の嫁さんがお節介)


三男(東京)長男次男とは容姿は違い、性格も違う。明るくお調子者で兄弟の付き合いを嫌った。若いころ、妻にぞっこんだったため、ずっと妻の尻にしかれる状態。
娘がひとり、不動産王と結婚。この妻さんが、親せき中を仕切る。お高く留まってる人。
この三男も、心臓病で他界。


四男(神奈川県)三男と容姿は似てる。性格は常に何かに怒り、自分に得ではない人には冷たい。私が子供のころ、この四男にはよくいじめらてた。娘と息子がいる。
娘は子供のころから虚弱であったが、とにかく、いじめっ子だった。私はよくいじわるされた。今は、この娘も息子もそれぞれ家庭を持つ。妻さんはおとなしく、優しい人。


長女(沖縄県)三男四男と容姿は似てる。性格は明るく温厚で面倒見が良い。
家事全般ダメだが、洋裁で家計を支えるほど、上手い。よく母にセーターなどを編んでは
送ってくれた。長男と、女4人の子供がいる。よく私の家に遠方なのに遊びに来てくれた。子供たちはみんな、それぞれ家庭を持つ。三女と他の姉妹が仲が悪い。次女がこの家系を仕切っている。長男は若年性認知症となる。この長女夫妻も癌と心臓の病気で他界。
母はこの長女夫婦と仲が良く、最後に夫婦に会いに沖縄に行けた事が良かった。
父の法要の時、この伯父が癌で余命短いのに、会いに来てくれた。


次女(母)長男次男と容姿は似てる。性格も似て温厚で無口な人。
母は子供のころから、虚弱であったため、学校にも行かせてもらえず、家事と兄弟の面倒を見るように言われる。おとなしい性格のため、反論できず。勉強家で我慢強い。
母の家系である「心臓病」があり、その上「膠原病」を発症。息子は3歳で心臓病で他界。夫である父親にも逆らう事はなかった。ずっと父には息子の事で恨みがあった。
娘である私には、厳しかった。


三女(神奈川県)三男四男長女と容姿は似てる。性格は四男と似て、自分に得ではない人には冷たい。自分の容姿が兄弟姉妹の中で一番良い事を自覚。息子と娘がいる。
娘はこの三女に似て美人である。そのことで、常に私と比べた。とにかく性格が悪い。
子供のころ、遊びに行くと、私はよくいじわるをされた。夫を人間扱いしない。
いつも何かに「舌打ち」する癖がある。姉である母を恨み、長年入退院介護を必要と
していたが、一度も見舞いに来た事がない。自慢の娘が酒乱の夫と問題があり悩む。
息子夫婦と同居するも、上手くいかず別居。お金持ちのため、なんでもお金で解決しようとする。
現在は家系である心臓病で入院。母が入院してたとき、私に向かって「あの女は早く死ねばいい」と言った。親戚中に母の悪口を言いふらす。


私は子供の頃に、よく、母親の兄弟のところに「泊まり」に行かされた。
だが、次男・三男・三女の家には、あまり歓迎されず、泊まったことも少ない。
長女の沖縄県は、遠方のため、あまり行かれず。


特に「四男」「三女」の家に泊まりに行ったり、遊びに行くと私は「いじめ」を受けた。
私は、この従妹たちの中で、一番年下だった。


親も親なら、子も子なのだろうか。
私が、母の兄弟「三男」「四男」「三女」の家に遊びに行くと、子供たち(いとこ)も
「三男」の子供は1人娘、私とは、まったく一緒に遊ばない。
「四男」の子供は2人娘と息子、娘は、よく私をいじめた。
「三女」の子供は2人息子と娘、息子は、よく私を無視した。


子供は、意外とよく見てるし、覚えてるものなのだ。


私は兄が幼い頃に他界してるので、ひとりっこ同然で育った。
兄弟2人でも、いろんな事はある。
母の様に7人も兄弟が居れば、いろいろな事があったであろう。
それを、年老いてからまで、引きずる兄弟もいるのだ。
私からすれば、折角、血を分けた兄弟なのに、なぜ、仲良くできないのか?と思う。
母の兄弟の中でも「長男」「次男」「長女」「次女(母)」の様に「温厚な人柄」
の人は、「三男」「四男」「三女」の様な、人に利用される。
母の様に、ずっと、兄弟の犠牲になり、阻害されて来た人生を見ると、可哀想だと思う。