Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」の兄弟4兄の嫁さん

私が子供のころ、母方の兄弟の家に、よく泊まりに行かされた。
母には7人兄弟がいるが、あまり仲が良くない。
そのうちの4兄の家には、私と同じぐらいの、娘と息子がいた。
私が泊まりに行くと、この兄弟から、よくいじめられた。

母の兄嫁さんが「ほら、3人でお風呂に入りなさい」と言う。
風呂の脱衣所に行くと、娘が私に「まだ、入らないで!」と言う。
娘と息子は、二人でお風呂に入り、キャッキャッと遊んでいる。
私は裸のまま、寒い脱衣所に立たされたままだった。
母の兄嫁さんが、脱衣所に入ってきて「何してるの?早く入りなさい」と
風呂のドアを開け「なんで、一緒に入れてあげないの!」と娘と息子を叱る。
すると、嫌々、私に「いいよ、入って」と言う。
ところが、浴槽には「ダメ!」と言って入らせてもらえない。
ひとりで頭を洗っていると「ブルムン(私)ちゃん!頭にお湯かけてあげるよ」と娘。
だが、浴槽のお湯を、洗面器ですくい、私の頭を目がけて、勢いよく叩き付けるのだ。
この娘、弟に向かって「ほら、テルもやりなよ!」と言う。
弟も姉の言うことには逆らえない、私はこの兄弟二人に、息継ぎができないほど
浴槽のお湯を頭に交互に叩き付けられたのだ。
そして、二人が浴槽からあがるころには、浴槽にはお湯がほとんどない。
私は、最後に、少ないお湯の中に入っていたのだ。
そして、この娘、小学生で自分の部屋がある。
それは、とてもかわいい部屋だった。
ベットに机に、ピアノに、洋服タンスに、クローゼット。
泊まりに行くと、この娘の部屋で寝かされた。
母の兄嫁さんが「ブルムンちゃんにベットで寝かせてあげなさい」と言うと、娘は絶対に
「イヤよ!私のベットだから!」と言い、いつも、下に布団を敷いて寝かされていた。
机も、ピアノも私には、一切触らせてもらえなかった。


この母の兄からも、よく自分の子供と差別をされた。
私が泊まりに行っても、この母の兄は「いらっしゃい」でもない。
仕事から帰り、夕飯と晩酌をひとりでテレビを見ながら食べている。
私の顔を見ても、イヤな顔をするだけ。
いつも、その頃には、この兄弟と私が一緒にお風呂に入り、上がる時間。
この母の兄、自分の娘と息子には、風呂上り「ほら、梅干し食べろ」と
差し出す。だが、私には絶対に出さない。
いつも、このお嫁さんが「ブルムンちゃんも、梅干し食べなさい」とくれる。
自分の妹である、母が来ても何も出さない。父親が来てもだ。
ただし、同じ兄弟でも、他の兄弟が来ると、いきなり「お寿司取ろう」と
お寿司でもてなすのだ。
私が子供のころ、なぜ、この家に泊まりに行かされるのか、本当にイヤだった。


この母の兄も他界した。
母はそんな扱いを受けながらも、兄の葬儀には出ていた。
だが、この兄嫁さん、母が他界しても、通夜にも葬儀にも火葬にも来なかった。
この兄の娘と息子が結婚した時も、母はご祝儀も結婚式にも出席した。
子供が生まれれば、また、お祝いを送ってきた。
だが、私が結婚した時、この兄嫁からは、ご祝儀もなにも来なかった。


母の葬儀のお塔婆だけ出した、この母の兄嫁。
お礼もかねて、この兄嫁に電話をした。
社交辞令で「何かあったら、いつでも電話してきてくださいね」と言った。


そうしたら、来たよ(笑)電話が、しかも朝早くに。
どーせ、電話に出ても、嫁さんといろいろあるらしく、そんな愚痴でしかないであろう。
私は母の兄弟の片割れたちに、気を遣って、電話をしてきたが、どこもそんな愚痴ばかり。私は愚痴聞きやではない。社交辞令って言葉を知らないのかな。
電話があったが、私は出なかった。
おととしから、母の妹の愚痴ばかりを聞かされて、嫌気がさしてる。
だから、電話にも、もう、出ない。


一応「親せき」ではあるが、私がされてきたいじめ、差別、私は忘れないよ。
子供ごころに、どれだけ傷ついたか。
母も他界したし、親せきの無情さも、よく分かったから、もう、親せき付き合いも
したくもない。年賀状だけのやり取りで、もう、十分だ。