Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

愛ネコの永眠

2017年7月2日(日)午後9時ごろ、21年間飼っていたネコが永眠した。


名前は「チロ」真っ白な毛だったため「しろ」が「チロ」になった。
21年前、私が会社に行く途中、自転車に乗って行ける職場(人材派遣にて)だった。
道路と歩道の間の植え込みに、ピョンピョンと跳ねる白い生き物がいた。
最初は白いので「ウサギ?」と思ったが、近くに行くと、可愛い手のひらサイズの
真っ白い子猫だった。
道路もあり、車の行き来もかなりある。交通事故にでもあったら大変だと思った。
すぐさま、保護をした。
母に携帯電話で連絡をとり、先代のネコが使っていたカゴを持ってきてもらった。
私は仕事があるため、そのまま職場へ。母は子猫を持って自宅に帰った。


だが、自宅は市営住宅のため、本来なら動物は一切飼ってはいけない規則だった。
先代のネコ「黒ネコ」が、永眠して丁度1年ぐらいだった。
当時は、先代のクロネコは19年生きて他界し、とても悲しく「こんなに悲しい思いをするなら、もう、動物は飼わない」と思っていた。
私は子供の頃から、よく、捨て猫と出会っては、家に連れてきて飼っていた。
だが、どのネコも、長生きをせず「一度でも寿命で他界させたい」と願っていた。
やっと、黒猫は19年も大往生をして永眠したのだった。


黒猫は最初は、母は「化け猫」と言い、嫌っていたが、とても頭の良いネコだった。
近所の人達からも、とても可愛がられていた。
その黒猫は、市営住宅に引っ越す前から飼っていたため、市営住宅に引っ越すからと
言って、置いていくことなど私にはできなかった。
両親は当時、黒猫をその場所に置いて行くように、私に言ったのだが、そんな無情な事はできなかった。
それから、家ネコとして、ずっと居たのだ。


その黒猫は、当時、動物病院の人から「家で子猫が生まれて引き取り手を探してる」と
聞いて、その家に行き、真っ黒の子猫と、真っ白の子猫が居た。
私は迷わず、黒猫を貰ってきたのだった。その後も「あの真っ白い子猫の方はどうしてるのだろうか?」とずっと気になっていた。


そして、黒猫が永眠してからの、真っ白い子猫との出会い。
私は先代のクロネコと一緒にいた、真っ白いネコの生まれ代わりだと思った。
だが、当時、両親は「チロ」を買う事に大反対した。


でも、結局は、飼う事となった。
毛足の長い、真っ白なネコ。
大人になるにつれ、顔立ちも整ってきた。
オスのネコだったので「去勢」もした。
「噛み癖」のあるネコだった。
冬になると、母親の毛糸の靴下を噛み、バラバラにしては、よく母親に叱られていた。
躾の厳しい父親に、どんなに叱られても、ちょっかいを出し「遊んで」と行った。
父親も最初は反対したが、母親の話しから、私の手前褒めなかったが「可愛い」「可愛い」と喜んでいたそうだ。


先代の長生きした黒猫の永眠の悲しみから「チロ」は両親と私を救ってくれた。
21年間の思い出は沢山ある。
父親を一緒に看取った。母親の事も一緒に看取った。
母は「チロとお母さん、二人きりになってしまったね」と言った。
私が嫁に行ったからだ。
母とチロは二人でどんな事を話したのであろう。
ずっと母のそばに居て、父親の他界で悲しむ母を慰めてくれたのであろう。
母が晩年、長い長い入退院生活、介護と両足を失くした車椅子での生活となり、特養の
施設に入所せざるおえなくなった。
市営住宅も出なくてはならなくなった。
チロは私が引き取った。
あいにく、夫は動物嫌いではないことだけは、良かった。


だが、動物には分かるのであろう。本当に動物が好きか嫌いか。
夫にはなかなか懐かなかった。
「毎日、トイレの始末、食事の世話をして、遊んであげれば、懐くよ」と私は夫に言った。夫はなるべく、チロに好かれたいため、それをした。


そして、母が特養に入所した頃「お母さんが先か、チロちゃんが先かだね」と母は言った。
だが、母の方が先に天国に逝ってしまった。
特養にチロをカゴに入れて連れて行き、母に会わせてあげた事もあった。


母の入退院が2009年ごろから頻繁にあった。
その頃からチロを引き取り、私は一緒に住んだ。
夫は「妻の連れ子」だと、職場の人に説明したそうだ。


どの人からも「美形な顔立ちなネコだね。とても拾ってきたネコとは思えないほど」と
言われた。


2012年ごろ、チロは「皮膚がん」が見つかった。
その手術のため、レントゲンを撮った際に「脳腫瘍」と「足の付け根に腫瘍」が見つかった。獣医からは「明日、どうなるかも分からない」と言われた。
「人間なら手術をして腫瘍を取る事も出来るが、動物の脳腫瘍を取れる獣医師はあまりいないのが現実。このまま様子を見るしかない。」と言われた。


その宣告から5年間も生きてくれた。
2014年ごろから、少しずつ、様子がおかしくなった。
上をボーっと見るようになった。
人相もひきつった顔のようになっていった。
突然、同じ方向を何度も何度も歩く様になった。
食欲はあるが、どんどん痩せ細って行った。
鳴き声を上げることが少なくなった。
名前を呼んでも、反応が無くなった。
自分で身体を舐めてキレイにすることもできなくなった。


そして、2017年に入り、春ごろになると、歩行困難になって行った。
そして、6月になり、一切立てなくなった。
ご飯の時だけ、身体を支えてあげながら、エサを食べた。
一日のほとんどを、寝たまま過ごすしかなかった。


そして、2017年7月2日(日)朝はいつも通りエサを食べた。
いつもエサを食べ終わると、大好きな窓際にタオルを敷いて、外が見えるように寝かせて
あげる。もう、目もあまり見えないであろう。光しか。
朝と夜に、私が抱っこをしてベランダに出て、外の空気を吸わせてあげた。
それでも、耳は聞こえるのであろう、鳥の声がする方向に向いたり、飛ぶ鳥や車のライト
の光を目で追っていた。


私と夫が買い出しから戻り、夕飯のエサを夫があげると、夫は「全然食べないの?」と言う声が聞こえた。
私が様子を見に行くと、エサのお皿に顔を入れるが、一切食べない。
私が夫からチロを渡してもらった。
すると、様子がおかしい。
口を半開きにしたままなのだ。
すぐさま、チロを抱っこしたまま、ソファーに座った。
水を与えるも反応が無い。
私をじっと見ながら、半開きの口から「ふーふーふー」と息を吐き、こくっと3回うなずいた。それきりだった........
身体を触るも、心臓の鼓動もない。息もしていないのだった。
チロが永眠したと確信した。


すぐに「死後硬直」が始まった。
半開きになった口はなんとか、閉じることは出来たが、両目は閉じる事ができなかった。
いつも使っていたバスタオルに包んであげ、いつも寝ていたハウスの布団に寝かせてあげた。
夫は泣いていた。


だが、夫とチロとの一緒の年数より、私とチロの一緒に居た年数21年間の方が遥かに長いのだ。強いて言えば21歳の息子を亡くしたと同じなのだ。
だが、泣いてられない。動物を荼毘にふす霊園をさがした。日曜なので動物病院は休み。
明日の3日(月)の夕方に、火葬の予約を取った。


チロちゃん、本当に本当に、よく頑張ってくれてありがとう。
21年間、父を母を一緒に看取ってくれて、ありがとう。
2015年に母を看取り、私がひとりになるのが可哀想だから、頑張って生きてくれたんだよね。
もう、苦しまないで良いのだからね、父さんと母さんが迎えに来てくれたね。
一緒に行って、天国で沢山、可愛がってもらってね。沢山、遊んで走り周ってね。
チロちゃん、21年間、沢山の思い出を本当にありがとう。合掌。