Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」介護事故⇒左足下肢切断

整形外科の若い医師の過診で、右足の下肢を切断せざる終えなくなった母。
その後、大学病院の形成外科の良い医師との出会いから、外科の医師を紹介してもらうことになり、その外科医から、整形外科医を紹介してもらうこととなった。


形成外科の医師は、母の足の切断面の経過を親身になって診て下さった。
そして、外科の医師も、母の人口肛門の状態を診て、通常の位置とは逆に作った事と
簡易的に作ったため、糸が人口肛門から出ていると言う、粗雑な人口肛門を、通常の位置
に再手術をして作って下さった。
その後も、ストマー外来の専門看護師に頼んで下さって、経過を診てくれるようになった。そのストマー外来の専門看護師さんも、とても丁寧にいつもやって下さった。


あの南部の悪魔のような病院から、やっと抜け出し、北部のこの大学病院に出会えて
私も母も、少しホッとした。


あとは、自宅での母の車いすでの生活を、介護保険と身体障碍者のサービス内で
どうやって母に必要な事が出来るか、だった。


ケアマネさんもとても勉強してる方で、母に対して親身になって対応してくださった。


そして「ケアマネ」「介護スタッフ事務所」「訪問看護師」「介護器具メーカー」
「デイサービス施設」と、私と母とで「担当者会議」をケアマネさんが開いた。


母の今までの経緯・持病・処方薬・独居・生活・通院先・母の介護で必要事項
などなど、細かく報告し、これからの対応を話あった。
私と母からは、一番重要視する点を述べた。
「母は閉塞性動脈硬化症と言う病気があり、膠原病もあります。一番気を付けなければ
ならないのは、血液の循環が悪く、心臓より遠い部位、手、足、頭などに血液が
流れません。よって、ちょっとしたキズ、怪我などをすることで、そこから壊疽となり
最悪の場合は、部位の切断となるかもしれません。右足を失った経緯も、同じです。
残った左足も、同じ様に、血液の循環が悪いので、左足への怪我をしない様に取扱い
に十分注意して頂きたいのと、切断した右足も切断面から、打ち身やけがによって
壊疽し、今度は太ももからの切断をする事になる事だけは、避けたいので、取扱いに
十分注意して頂きたいです。」と話した。


十分、各担当責任者が来ていたので、理解してると思っていた。


ある師走、ケアマネさんから、私に「お願いがある」と言ってきた。
内容は「介護スタッフを、年末年始は休ませてあげたいので、娘さんがお母さんを
引き取って、年末年始診てあげて欲しい」と。


本来であれば、年末年始であろうが、介護を必要としてる方には関係はない。
それを承知で、介護スタッフになったのであろうから。
だからこそ、ふつうのパートやアルバイトの仕事とは、時給も違い高い設定であるのだから。


仕方なく、年末年始は私は夫に気を使いながら、母を引き取って面倒を見知るかなかった。だが、私ひとりで母をお風呂には入れてあげることはできない。
母も、また、娘の夫に気を使いながら、年末年始を迎えた。
夫は、もちろん、母の介護も手伝うことはない。
妻である、私の事でさえ、放っておく人間なのだから。


そんな年が2年続いた。
そして、2011年の師走、今年も母を引き取って年末年始を迎える事となった。
いつもの用に、12月28日ごろに、母に電話をし、30日か31日に迎えに行く事を伝える。
夫の仕事も、28日まであり、29日は大掃除、30日は買い出し、31日は煮物で
丸一日は過ぎて行くのだった。


その12月28日に母の自宅に電話をした時、母が私に言ったのだった。
「先週、介護スタッフが、車いすを勢いよく押して、お母さんの左足が車いすに挟まれ
ちゃったのよ。もう、そこが痛くて痛くてたまらないのよ。まったく、あれだけ気を付けてって言ったのに、確認もせずに、車いすを押して、挟まってるから、車椅子を引いて!
って叫んでるのに、意味が分かってなくて、ずっと挟まれたままだったのよ!」と。
それを聞いて、私は「え?怪我したの?血は出てない?」と焦ったのだった。
母は「血は出てないんだけどね、もう、痛くてたまらないのよ。」と。
私は「介護スタッフは、挟まれた足を見たの?」と聞くと
母は「いいえ、全然見てもいかずに、帰ったわよ!」と。
とりあえず、私も、大掃除の用具を買いに家を出なければならず、母の状態がひどいとは
思ってもみなかった。とりあえず、怪我をしていない、血液も出てないと言う事だけで
少しホッとしていたのだった。


すでに、介護スタッフも、訪問看護も、すべてが28日で仕事おさめ。
電話の最中も、母は痛いらしく、時折、息を止めるような声をしていた。


そして、30日にも「明日の31日の夜に迎えに行くね」と伝える電話をした。
母は、元気がなく「痛みが、どんどん増していくのよ」と言う。
私は「では、明日着たとき、私が見るから。」と言ったのだった。


そして、31日の大みそか、母を迎えに行き、自宅に招いた。
ところが、ずっと母は、下を向き、苦痛にゆがむ顔をしていた。
私が「足を見せて」と言い、靴下を下げようと触ると「痛い!いいから、1月の3日に
デイサービスがあって、お風呂に入れるから、その時にでも、デイサービスの看護師さん
に診てもらうから。」と言う。


母は、痛みのため、年越しそばもあまり食べれず、おせちも食べれずだった。
少し、お雑煮を食べたぐらいだった。それ以外、テレビを着けても、見るより下を向いて
「痛い」と苦痛にゆがんでいた。
私が「あまり痛いなら、年末年始はどこも病院はやっていないから、救急車で連れて行ってもらおうか?」と聞くと「いいわよ、もう、明日帰るし、デイサービスに行くから
それまでは、なんとか我慢するわ」と言うのだ。


そして、新年、1月3日にデイサービスの車が迎えに自宅に来るために、2日の夜に母を
送って行った。


そして、1月4日の朝、ケアマネさんから私に電話があった。
「今、デイサービスの看護師さんから連絡があって、昨日お母さんの左足を入浴後に見たら、かなり、赤黒くなってるので、心配なので、すぐに、病院に連れて行って欲しい、と
言われたので、娘さん、どこか病院を探して、休日でも診てもらえる病院を探して欲しい」と。


私は1月4日は、丁度、自分の通院の日で、予約制でこれをキャンセルすると、2か月先にしか、予約が取れない。今は昔の様に、薬だけ下さいと言う心療ができなくなったので
どうしても行かないとならない。母に付き添ってあげる時間が取れない。病院はこれから、電話して探します。」と言ったのだった。
ケアマネさんは「分かりました、病院を探してくれるのであれば、私がお母さんに付き添います。」と言うのだった。


私はあれこれ、病院に電話をした。北の母が掛かりつけている大学病院にも電話をしたが
やはり、年始なので、医師が居ないこと、で断られたのだった。
そして、数件、病院にあたってみたが、やっと、一軒だけ「今日は診察外来あります」と言う病院を見つけたのだった。
経緯を話したが「救急車では来ないでください、余計に診察できない事もあるので。
タクシーで来てもらった方が、診てもらえますからね。」と言われたのだった。


すぐに、私はケアマネに電話をした。
受け付けてくれる病院が見つかり、話しをしてあるので、救急車ではなく、タクシーで
来て欲しいと言われた事を伝えた。
ケアマネさんは「分かりました、すぐに行きます。怪我をさせた介護スタッフの担当責任者も方も来るそうです。」と。


そして、私の通院先の病院は、予約を取っても、何時間も待たされる。
その間、ケアマネさんへの連絡を取っていた。
やっと、私の診察も終わり、帰りに、ケアマネさんに電話を入れた。
「もう、診察も終わり、整形外科の先生は、壊疽してる感じではないし、1月の20日に
かかりつけの大学病院の整形外科の予約が入ってると言うので、それまで、患部を消毒しておくぐらいにしておきます、と言うことでした。もう、お母さんも、自宅に帰ってるので。」との事だった。
ケアマネさんにお礼を言い、電話を切った。


すぐに、私は母の携帯に電話を入れた。
母は「あの整形外科の先生は、レントゲンもなんの検査もしないで、大丈夫だって言うのよ。仕方ないね、20日の大学病院の整形外科の先生に予約してるのだから、その時に
お母さん、先生に経緯を話すわ。
お母さんに、車いすをぶつけて足を挟んだ、介護事務所の担当責任者は2人来たんだけど
謝罪もなく、お母さんの順番が来て呼ばれたら、お母さんより先に診察室に入って
先生に開口一番、先生!診断書を書いてください。なんて言うのよ!先生がびっくりして
そんな診断書、何に使うんだ!?と聞いたら、介護スタッフの事務所の人が、いろいろあるんですよ、なんて言うのよ!その前に、ちゃんと、お母さんに謝るべきでしょう??」と、母は無礼な態度の介護事務所に、怒りがあったようだ。


確かに、患者さんへの怪我だけはしないように、十分に取扱いに注意するように、と
私と母が、あれだけ言ったのに、怪我をさせて、謝罪ひとつない。しかも、怪我をさせた介護スタッフ自身も、母に謝罪もなく、怪我をさせた当日さえも、足の状態も見ても行かずに、とっとと、帰ってしまった。
それは、母も怒るのは当然だ。


それから、3回ぐらい、その病院の整形外科に診察に行き、足の状態を見せた。
足への壊疽の状態もないと言うことで、相変わらず、レントゲンも、検査もなく
母を帰したのだった。


そして、1月20日、北の大学病院の整形外科の診察の日が来た。
整形外科で、母が呼ばれる。
母が年末に、介護スタッフから車いすで、左足を挟まれた事、1月4日に近くの整形外科
に緊急で行き、診察してもらったことを話した。
整形外科の医師は「そうか、じゃあ、近所の整形外科の先生に診てもらったんだね。
じゃあ、僕が診てみよう。」と言いながら、母の靴下を脱がせた。


母の靴下を脱がせ、左足先を見た時、整形外科の医師は開口一番、こう言った。
「あー、これはダメ、もう、壊疽してる、傷はなくても、打ち身で、中が壊疽してるんだよ、ほら、見てごらんなさい、すでに、かかとまで、壊疽が来てて、色が違うでしょ?
これは....可哀想だけど、左足も下肢からの切断手術をしないとならない。
もう、すぐに、しないと、敗血症になって命まで危なくなるから、すぐに入院して。
手術の日は、すぐに決めるから。」と言われたのだった。


それを聞いた、母は、グッタリと肩を落とし、頭を下にして、泣いたのだった。
「また、足を切るなんて....もう、イヤだ.....なんで、お母さんばかりこんな目に....」と。
私は言葉もなかった。ただただ、母の背中をさすってあげるしか。


そして、入院の手続きをして、母はそのまま入院をした。
これから、私は、母の荷物を取りに、自宅に戻って、必要なものを出し、大きなカバンに
詰め、また、病院へと向かった。


母が度重なる手術と、またも、他人からの過失で、足を切断しなくてはならなくなった事
への、怒りと、生きる希望が無くなってしまうのでは?と心配になった。


運よく、入院した病棟の看護師さんが、とても親切で、母への温かい言葉をかけてくれた。ずっと病院に居るわけにはいかないので、いったん、私と夫は帰宅した。


手術の日は、後日、担当医から、私に連絡があることになった。


そして、これから、母の長い辛い日々が始まるのだった。