Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」捨てる神あれば拾う神あり

2007年に水漏れを起こされ、被害者である母が、加害者に訴えられ、裁判となった。
それからの母は、水漏れの際、水を大量に含んだタンスの下敷きになってしまった。
2008年にやっと裁判が終わった。同時に、母は肺炎になり、命の危機もあった。
なんとか持ち直したが、今度は、下腹部の痛みを訴え、横浜の南にある病院に行った。
「脱腸」と診断され、入院して手術した。
すぐに、まだ下腹部の痛みを訴え、同じ病院の整形外科に回され、検査し診察すると
「恥骨・坐骨骨折」と診断された。
そして、すぐに「右大腿骨骨頭骨折」と診断され、入院して、人口関節布設手術をした。
すぐに、また、今後は「左大腿骨骨頭骨折壊死」と診断され、入院し、人口関節の布設手術をした。
退院したその日に、自宅で転び「右足大腿骨人口関節脱臼」と診断された。
すぐに入院し、人口関節の「再布設手術」をしなければならなかったのだが、高熱と高血圧で手術が延期となった。
2009年原因が分からない「直腸窒ろう」と言う状態となり「人口肛門」となった。
そして、この病院の整形外科の医師の過診により「外反母趾」の手術をした。
母の「閉塞性動脈硬化症」を検査もせずに、外反母趾の手術をしたため、そこから「壊疽」となり「右足親指を切断する手術」をせざる終えなかった。
すぐに、切断した箇所から、壊疽が始まり、今度は「下肢切断手術」となった。


2010年私が通院してる皮膚科で「形成外科」の先生が居た。
その先生に、母の状況を話たら「すぐに、私のいる大学病院に来なさい。」と言ってくれた。形成外科は「術後の経過を診てくれる」科でもあった。
母の下肢切断箇所の状態が悪くなると、そこから、また壊疽が始まり、切断する事になるのだけは避けたいと言う願いだった。
なんとか、その形成外科の先生が、懸命に診てくれて、切断面は良好だった。
そして「今後は人口肛門の件も、外科の先生に診てもらった方が良い。カルテを回すから、外科の先生に診てもらって。」と言ってくれたのだった。


この大学病院の形成外科の先生も良い先生であったが、外科の先生も、とても良い先生だった。経緯を話すと、すぐに「ここの病院は、ストマー外来があるから、私から言っておくから、予約してストマーを診てもらって。」と言ってくれたのだった。


今までは、ストマー外来の専門看護師さんが、ブログを綴っていて、そこに私が電話をして、やっと診てもらうことができ、その公立病院のストマー外来の看護師さんたちも
母のために、なんとか合うストマーを試行錯誤しながら、探してくてたのだった。
その時、ストマー外来の看護師さんが、母の人口肛門を見て、開口一番に言った言葉が
「え?通常は、人口肛門は左側の下降結腸に作るのに、なんで、右側に作ったの??
しかも、糸が出てるじゃない!これ、本当に外科医がオペしたの??」とビックリしていたのだった。


そして「いつかは、この人口肛門も、ちゃんと左側に作り治してもらった方がいいよ。
ここでは、申し訳けないけど、重篤な救急の患者さんしか入院できないので、人口肛門の再手術ができないの。」と言っていたのだ。
この公立病院のストマー外来の専門ナースに、北の方の大学病院で外科の先生に診てもらうことができて、そこにもストマー外来がある事を、話した。
公立病院のストマー外来の専門看護師さんは「それは良かった!あの大学病院なら評判も良いので、人口肛門の再手術の事も話してみた方がいいよ。これじゃあ酷すぎるもの」と
快く言ってくれたのだった。


そして、その大学病院の外科で良い先生に診てもらうことができて、ストマー外来の専門ナースにも、良い人に恵まれたのだった。
いろんなストマーを試行錯誤しながら、母に合うストマーが見つかったのだ。
皮膚の弱い母に、かぶれない様に、いろんな物を取り寄せて、合う物を見つけてくれたのだった。


そして、右足の切断面も良好になり、外科の医師が「人口肛門、左側に作るように検査してみましょう。」と言ってくれたのだった。
あの、忌まわしい、南の準公務員の病院で、人口肛門を作ったとき、外科医は私に
「お母さんの場合、人口肛門を作る場所が他に無い。この右側のこの場所しか」と
言っていたのだった。
その事を、この北の大学病院の外科医に話した所「そんなことないよ。場所なんてあるから。」と言って笑っていたのだ。
すぐに、検査をし、きちんと、通常の左側に人口肛門を作れる事が分かったのだった。
外科医は、入院にかかり、すぐにでも、人口肛門の再手術をしてくれたのだった。


それ以降、人口肛門は正常になり、きちんとストマーも合うのがすぐに見つかったのだった。あとは、月日が経つと共に、人口肛門の穴がだんだん落ち着いてきて、小さくなって行くらしい。その穴の大きさをストマー外来で測り、ストマーの穴の大きさに変更していけば良いらしい。
あとは、外科にも定期的に通院し、腸閉そくが起きていないか、便が詰まっていないか
など、診察して経過を診て行く事となったのだった。


そして、その外科の医師が、今度は「整形外科の先生に予約入れておくから、今後も
右足の切断の状態やら、左足の状態も診てもらって。義足の件も、相談してみて。」と
整形外科の先生を紹介してくれたのだった。


本当に、この大学病院の「形成外科医」「外科医」「整形外科医」には、ありがたかった。
まさに「捨てる神あれば、拾う神あり」だと感謝した。


だが、この平穏な月日もアッと言う間に過ぎ、これからが、過酷な母の出来事が待っていたのだった。