私が子供のころ、母方の兄弟の家に、よく泊まりに行かされた。 母には7人兄弟がいるが、あまり仲が良くない。 そのうちの4兄の家には、私と同じぐらいの、娘と息子がいた。 私が泊まりに行くと、この兄弟から、よくいじめられた。 母の兄嫁さんが「ほら、3人でお風呂に入りなさい」と言う。 風呂の脱衣所に行くと... 続きをみる
2016年12月のブログ記事
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2015年、9月に母が他界した。 25年もの「膠原病と言う難病と、10年の長い長い介護と、入院生活だった。 母が永眠して、葬儀は「家族葬」にした。 長い入院生活で、母の貯金も底をついてしまったからだ。 それでも、お金はかかる。 葬儀社でも違う。 友人の親が他界した時、その友人が言っていた。 「父の... 続きをみる
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2000年に父親の体調不良から、入退院手術を繰り返し、2001年に「胃がん・肝転移」で他界した。 2008年に母親が「腹部が痛い」と言い初めてから、入退院手術を繰り返し、2015年に他界した。2004年、2005年の手術から介護を含めると、長い長い「介護」だった。 この長い間の親の介護や、入退院手... 続きをみる
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2011年、平成23年12月に、母は残った左足を介護スタッフに車椅子を挟まれた。 2012年、平成24年1月に、その事故が原因で、母の足が壊疽し切断をした。 母の手術が終わり、病室に戻った時、我慢強い母が泣きながら、激痛に耐えていた。 「痛い、痛い、もう、こんなことなら死んでしまいたい。」と言った... 続きをみる
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2015年、母が入院した時の事。 担当医「病院も、特養も、療養型の病院も、善意でやってると思いますか?それは違いますよっ!要は、お金ですよっ!金っ!」と、私と夫の前で、入院費以外にお金の要求をしてきた医師のいる病院。 ある日、その医師から、私に「話があるから、病院まで来て」と連絡があった。 すると... 続きをみる
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2012年に母が「特別養護老人ホーム(特養)」に入所してから、入退院を繰り返す度に 「特養」の管理責任者から「市の特養への規約で、入院が2週間経ったら、一旦退所を してもらうことになってる。なので、一旦退所してほしい」と、特養に言われ続けてきた。度重なる入院の際、この「2週間」が、ネックとなり、わ... 続きをみる
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2015年、母の度重なる入院で、この「公立病院」に救急搬送されたのだが 「療養型の病院へ入院した方が良い」と言われ、見学に行った。 すると、この療養型の病院の、入院担当者から、信じられない言葉があった。 「当院に入院する際、どんな状況であっても、治療はしません。延命もしません。 お母さんを看取る覚... 続きをみる
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母が、入院するたびに、病院の医師から「療養型の病院に入院した方が良い」と 薦められる。 私自身も、自分でネットで、療養型の病院を何十件も探し、一軒一軒、電話をして聞いた。これは、母が右足を切断した当初から、病院から言われた事だった。 今は医療制度で「ふつうの病院でも入院は、3か月以内で退院を。」と... 続きをみる
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2012年12月に、母は特養に入所した。 2013年は、母も特養での生活を、本を読んだり、テレビを見たり、みんなでゲームを したり、裁縫をしたり、車椅子であっても、活発に動いて、その生活を楽しむ様に 努力していた。 母に言わせると、入所して生活してくると、スタッフの「がさつさ」や「やるべき事を や... 続きをみる
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2014年、母が「誤嚥性肺炎」で入院した時の事だった。 「誤嚥性肺炎」の場合、しばらくは飲食をしない事、抗生剤の点滴での治療で意外と 早く治るのだった。 問題は「経口摂取」ができないため「栄養不良」となるのだ。 すると、病院の医師が「首の太い血管に、長い針を入れておいたまま、高カロリーの輸液をそこ... 続きをみる
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2014年、ある日、母の通院のため、北部まで夫の車で付き添う時に分かった。 母の「ろれつ」が上手く回っていない。 はじめは「入れ歯が合わないのかな?」と思っていた。 通院から特養に帰宅すると、特養の看護師が「お母さん、なんだか、ろれつが回っていないのよね」と言う。特養の規則から、通院のために、施設... 続きをみる
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2011年、平成23年12月下旬、介護スタッフの過失により、母が車椅子に足を挟まれ 2012年、平成24年1月中旬、母は一本残った左足を切断する事になった。 母の見舞いに、介護事務所もスタッフもケアマネも、来なかった。 私と、夫は、母の入院手術に付き添い、忙しくバタバタしていた。 年が明け、201... 続きをみる
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そして、母は両足を失い、室内でも車椅子の生活となったが、なんとか、ケアマネと 私とで、話し合い、介護保険と身体障碍者手帳の支援で、ギリギリなながらも 過ごして来た。 そして、2011年、ケアマネから、「もう、これ以上は、介護保険や身体障碍者手帳の 支援でも、無理があります。お母さんを特別養護老人ホ... 続きをみる
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母は右足を、医師の過診で「下肢切断」をした。 そして、左足を介護スタッフの過失で「下肢切断」した。 今までは、左足だけでも残っているだけで、車椅子からベットへの移乗もできた。 車椅子から車への移乗もできた。 トイレも車椅子から便座への移乗もできた。 だが、両足を無くした事で、すべてが「不可能」にな... 続きをみる
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整形外科の若い医師の過診で、右足の下肢を切断せざる終えなくなった母。 その後、大学病院の形成外科の良い医師との出会いから、外科の医師を紹介してもらうことになり、その外科医から、整形外科医を紹介してもらうこととなった。 形成外科の医師は、母の足の切断面の経過を親身になって診て下さった。 そして、外科... 続きをみる
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2007年に水漏れを起こされ、被害者である母が、加害者に訴えられ、裁判となった。 それからの母は、水漏れの際、水を大量に含んだタンスの下敷きになってしまった。 2008年にやっと裁判が終わった。同時に、母は肺炎になり、命の危機もあった。 なんとか持ち直したが、今度は、下腹部の痛みを訴え、横浜の南に... 続きをみる
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整形外科の若い医者の判断で、右足を膝下から無くした母は、なんとかリハビリを する状態まで来た。 理学療法士・作業療法士によって、リハビリをする毎日となった。 この病院で、唯一救いようがあったのが、このリハビリの療法士さんたちが、親身になってくれた事だった。 なんとか、義足が付けれないかどうか、有名... 続きをみる
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母が右足の人口関節が外れ、人口関節を再手術する予定だったが、熱と高血圧で手術が未定となった矢先に、今度は、直腸窒ろうとなり、人口肛門を作る手術となる予定だった。 大腸からの便が窒を通り、子宮内に入り、大腸菌が子宮内に繁殖したため、高熱となった。抗生剤の点滴をし、子宮内の大腸菌を死滅させ、なんとか、... 続きをみる