Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」右足外反母趾手術⇒右足下肢切断

母が右足の人口関節が外れ、人口関節を再手術する予定だったが、熱と高血圧で手術が未定となった矢先に、今度は、直腸窒ろうとなり、人口肛門を作る手術となる予定だった。
大腸からの便が窒を通り、子宮内に入り、大腸菌が子宮内に繁殖したため、高熱となった。抗生剤の点滴をし、子宮内の大腸菌を死滅させ、なんとか、高熱も下がった。


そして、人口肛門を作る手術と、人口関節を再布設する手術を、同時にやった。


人口肛門の調整と、人口関節の調整、リハビリを入院中にしなければならない。
少しずつ、体調も良くなりかけた時だった。
母が回診する若い整形外科の先生に「右足のひとさし指が痛い」と言ったそうだ。
若い整形外科の先生は「足のひとさし指が痛いのは、親指が外反母趾でひとさし指の上に
曲がって乗ってるからだ。手術して親指の外反母趾を治せば、ひとさし指の痛みは取れる」と言ったそうだ。
そして、この若い整形外科の医師は、私を呼び、同じ事を言ってきた。


私は即答せず、まずは、母をずっと診てきた、かかりつけ医でもある、リウマチ膠原病の先生に電話をして、いきさつを話した。
すると、そのかかりつけ医の先生は私にこう言ったのだった。
「お母さんは、閉塞性動脈硬化症だから、そんな手術をしたら、大変な事になる。
その病院の整形外科の先生に、手術する前に、動脈硬化の検査をしてみなくて大丈夫ですか?と言いなさい」と言う。


私は若い整形外科の医師に「母の膠原病の、かかりつけ医に相談したところ、母は閉塞性動脈硬化症だから、外反母趾の手術をしたら、後、大変なことになるから、まずは、動脈硬化の検査をしなくて大丈夫ですか?」と聞いてみた。


すると、若い整形外科の医師は、私にこう言ったのだった。
「お母さんの場合、血液をサラサラにする薬も飲んでるし、閉塞性動脈硬化症の可能性はほとんど無いでしょう。外反母趾の手術をしても大丈夫です。」とハッキリ言ったのだ。
そして「動脈硬化の検査もしなくても大丈夫ですよ。」と。


その返答を、母のかかりつけ医に再度、電話をして私は言ったのだった。
かかりつけ医は「うーん.....閉塞性動脈硬化の検査もしないと言ってるの?不思議だな
でも、整形外科の医師がそう言うなら、仕方ないね」と。


そして、母の外反母趾の手術をする事前の説明を、私にするために、若い整形外科の医師は、病院に私を呼び出した。
「外反母趾の手術は、足の親指に、上から串刺しのように金属の細い棒を2本差します。
そして、外反母趾の関節部分を外して、曲がった関節を元に戻します。串刺しのように
差した金属の棒はしばらく、差したまま、経過を見ます。」と。
そして、手術の同意書にサインと、事前説明のサインをさせられたのだった。


そして、手術当日、母は外反母趾の手術をしたのだった。


ところが、手術が終わり、数日たったところで異変が起きたのだった。
母の病室に行くと、母は「足が痛くて痛くてたまらいの」と言う。
苦痛にゆがむ顔。相当痛かったのであろう。
足を見ると、包帯でグルグル巻きにされている。
若い整形外科の医師が、説明をしてきた。
「外反母趾の手術の部分から、壊疽をし始めました。やはり、検査をしたら閉塞性動脈硬化でした。これは、もう、壊疽してしまった部分はどうにもならず、足の親ゆびを切断するしかありません。その手術を早急にしないと、命にかかわります。」と言ったのだった。


私は、もう、この医師への怒りが込み上げてきた。
医師は、術後経過を、デジカメで撮っていた。
その様子を私に見せたのだった。
すでに、壊疽は足の親指の骨まで見えていたほどだった。
これは、我慢強い母が苦痛にゆがむ顔をするほど、痛いであろう。
でも、もう、こうなってしまった以上、足の親指を切断しないとならない。
私は、どうしていいかも頭の中は混乱していた。


この医師は、私に足の親指を切断する手術をするリスクも説明した。
「閉塞性動脈硬化症で足の親指を切断する手術をしても、また、そこから壊疽が始まれば、今度は膝下から(下肢)切断せざるおえません。また、ひざ下から切断しても、そこから壊疽が始まれば、今度は太ももからの切断するしかありません。」と。


そして、母の右足の親指を切断する手術をした。


そして、術後、数日後、また、足の親指を切断したところから、壊疽し始めたのだった。


この医師は「方法としては、2種類しかありません。ひとつは、下肢を切断する。
あとは、足首から切断し、ふくらはぎを取り除き、ふくらはぎのキレイな皮膚を、
足首まで覆い移植する方法もあります。でも、後者の方は、また壊疽する可能性は高いです。どちらにしますか?」と、素人の家族に聞くのだった。


私は、母は今まで、どれだけ手術をしてきたか、また、足首から壊疽し始めたら、また手術しかなくなる、最悪のケースを食い止めるには、やはり下肢からの切断しか方法はない。」と思った。


この医師、あくまでも「医療過誤」「診断過信」ではなく「膠原病の仕業」と言うのだ。


この医師、また、術後の経過をデジカメで撮っていた。
その様子を私に見せたのだった。
母の足は、甲の部分まで壊疽し、足の指全部と、甲の骨まで見えてるのだった。


そして、この医師、下肢切断した後の事についての説明をしてきた。
「お母さんの場合、閉塞性動脈硬化症である以上、義足は作れません。義足は足をきつく
しめるので、そこから、血液の循環が悪くなり、内部で壊疽が始まるかもしれないからです。」と言うのだ。
私は「では、母は、車いすでの生活になると言うことですか?」と聞いた。
医師は「はい、そうなります。」と。


この医師への怒り、不信感、が大きくなり、問い詰めて聞きたいぐらいだった。
だが、今は母の足の手術の選択を迫られてる。
私は、母に下肢切断の方法を取る事を言った。
母は、生きる事をあきらめたかのように、うん、とだけうなずいた。


そして、母は右足の下肢切断の手術を受けた。
私は、いままでのように、母を勇気つける言葉も出なかった。
もう、希望を少しでも、と言う願いから、「でも、左足は残るから、それだけでもよかったんだよ。」と説明にもならない言葉しか出てこなかったのだった。


そして、手術が終わった。
葬儀屋さんが、手術室に呼ばれ、母の切断した右足の下肢を段ボールに入れて持ってきた。私に「お母さんの足です。これから、この足を火葬します、小さいですが骨壺に入れてお渡しします。今後、お母さんが他界された時、一緒に持って行って、骨壺の中に一緒に入れてあげて下さい。」と。
私は切断した母の下肢が入ってる段ボールを、抱きかかえた。
下肢の切断の火葬、それだけでも、数万円かかったのだった。


手術室から帰ってきた母は、いままでになく「痛い、痛い、どうにかして」と泣きながら苦痛にゆがむのだった。


それはそうであろう、だれでも、病院に治りたいから入院するし、取れた指を縫い合わせるために手術をしたりするのに、母はあえて足を切断するために手術をするのだから。


この医師、術後の説明を私にしてきた。
「手術は成功です。足を切断する手術をする場合、通常は太ももをゴムでぎゅっと縛って
から切断する手術を行います。大量に出血するのを防ぐためです。でもお母さんの場合は
しばらないでやりましたが、やはり、出血はあまりしなかったです。動脈硬化のせいでしょう。今後は、麻酔から覚めて、これからの生活の中で、足が無いのに、足先が痛いとか
痒いとか、言って来ると思いますが、脳神経がそうさせてるだけです。」と。


私は、もう、説明を聞いても、母の今後の車いすでも生活をどうしたらいいか、父親が他界し、母ひとりの生活で、どこまで出来るのだろうか、どうしてあげたらいいのか?
そのことしか、頭には無かった。


この病院・この医師・私は今後、この病院に通うと悩む人には、絶対に勧めない。
アメリカであったら、すぐに私は、この病院と医師を訴えてる。
もし、家族がどの病院でも、入院したり、手術をする事があったら、ぜひ、説明される時には、「会話を録音する」事を勧める。
理由は、結局、医師の説明には、都合の悪い事は一切記載しないのだ。


そして、母はこれから、入院したまま、リハビリすることとなるのだった。