Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「夫」入籍のみ

2000年の冬、夫になる彼から電話が入った。
父が「お付き合いしてる彼か?挨拶するから、電話を代わってくれ。」と言う。
彼からの電話に、父に代わった。
「娘がいつもお世話になっています。」と父が言う。
彼が電話の向こうで何を話してるかは分からない。
父は彼の話しを「うんうん」と聞いていた。
父が「では、娘とはどういうおつもりでお付き合いしてますか?」と言った。
彼がきっと「結婚を前提にお付き合いしています。」と言ったのであろう。
父は「分かりました。そういうおつもりでお付き合いしてるのであれば、後は結婚したら
二人で生活をして行って下さい。」と言う。
そして、電話を切った。
父が私に「彼は12月にお父さんたちにあいさつに来ると言ってた。再婚となるので
ご実家とはいろいろ問題があり、普通の結婚式は出来ないかもしれません、と言っていたよ。お父さんは、お前と彼が無事に結婚して、一緒に二人で生活をしてくれればそれでいい。結婚式など今はしない人が多いしな。」と。
でも、父親としては、娘の「花嫁姿」は見たかったに違いない。


父の「親ごころ」なのであろう。
20代の頃に、8年付き合い、結婚する意思が当時の彼にあったのにもかかわらず
他の女性を好きになり、娘である私を捨てた。その事をずっと見てきた父親にとっては
「娘にまた、同じ悲しみを娘に味わいさせたくはない」と思ったのであろう。

彼には「父親が胃がんで、肝臓転移して、余命3か月から半年だと担当医から宣告されている。父親には告知はしていない」と報告はしていた。
彼は「なら、結婚を早めようか?」と言ってきたが「安易に早めれば、勘の良い父の事だから、何か自分にあって結婚を早めたのでは?と思うと思うので、予定通り6月で良い」と私は言ったのだった。


そして、彼が父親にあいさつに来る12月は、あいにく、父親は入院してしまったのだった。「胃がん・肝転移」の診断をした病院は、循環器と呼吸器の専門病院だった。
父親には「間質性肺炎」と言う持病もあり、その専門病院で看てもらっていたのだが
「胃がん・肝転移」となると、その病院での治療はできないので「外科」のある病院に
転院する事となった。その病院で、彼との面会があったのか?忘れたが、病室まで彼が
見舞いに来てくれた時、胃がんで思う様に食べられない父親に「手土産」が食べ物だったことに、驚いたのを記憶している。
父親の体調も思わしくなく、彼との面会も、ほどほどにした。
父親は「彼は、いい人そうだな」と言ってくれたのだった。


だが、夫になる彼は「俺の親は、君と君の両親と会う事も、話しをすることも嫌がってる。俺が再婚と言う事もあり、俺への怒りもあるからであろう。だが、俺の親が君や
君の両親と会いたくない最大の理由は、”学歴”だ。
俺の父親や親せき一同は、みんな”教育者”な家系だ。大学も国立しか大学とは認めていない。君も君の両親も、三流の大学さえも出ていない。俺の両親にとっては、それは
”どろぼうと同じ”だと言う、俺が君と結婚することで、君や君の両親は”俺の家の財産を
狙う、どろぼうと同じだ”と言う。結納や結婚式は、両家の両親が会って初めて成り立つ
だが、俺の両親が君や君の両親と会う事を嫌がってると言う事は、結納は成り立たない。
結婚式も成り立たない。だから、入籍のみとしよう。」と言ったのだった。


その家庭にはそれぞれ、考え方や教育方針はあるであろう。
だが、たとえ、彼のご両親が、私や、私の両親に「三流の大学さえも出てないから結婚に賛成できない」と言っても、それを、説得する努力をするのが、彼の役目ではないのか?と思う。
私なら、何を言われても構わない。だが、私の両親は「大正・昭和初期」の生まれ
そんな年齢な人が、国立の大学に行ける時代ではなかった。みんなが戦争や関東大震災で、生きるか死ぬかの日々を、一生懸命に生きてきた人たちの年齢なのだ。
そんな両親を、彼の両親が、学歴をうんぬんかんぬんと言うのは、失礼だと思う。
しかも「泥棒と同じ」だと言うのは、本当に、腹が立った。


私の両親は、彼の両親が会わない事に、不思議がっていたが、まさか、彼の両親の言葉を
そのまま、私の両親になど言えない。
私は両親に「彼は、再婚で、最初の結婚の時、離婚したことで、彼の両親は彼を怒り
私との再婚も一切認めないから、仕方ない。」とだけ言ったのだ。


「学歴主義者」「学歴差別」は、まだまだあるのだと感じた。