Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」腹部の痛み

2007年に水漏れがあり、被害者の母が、加害者に訴えられ、裁判となった。
2008年の半ばに終わり、母は水漏れ事件と、裁判との心労で「肺炎」を起こし入院。
やっと治り、退院した、翌年の2009年に「腹部が痛い」と言い出した。
すぐに、かかりつけ医に受診。主治医は「もしかしたら、盲腸かもしれない、外科のある病院に紹介状を書くから、行って検査をした方が良い」と言われた。


横浜の南部にある、中小の病院。
私も同行した。
始めは「内科」の先生が院長なため、内科に受診した。
何時間も待ち、やっと診察すると「これは、盲腸かもしれない、外科に回すから」と言う。レントゲン、血液検査、などをして、外科の主治医に呼ばれた。
横柄な態度の外科医。
「これは、脱腸だ。盲腸だよ。普通に生活してたらならないよ。思い当たる事ない?
たとえば、脱腸の原因は、出産の時のいきみ、頑固な便秘のいきみ、腹部を強く打った
とか、まぁ、出産はありえないね。(笑)」
母は「便秘でもないし、腹部を強く打った事もないです。」
外科医「そう?うーん、まぁ、とりあえず、脱腸になったら、もう、手術しないとならないから、すぐに入院手続きをして。」と。


すぐに、入院の手続きをした。
いろいろな検査をして、手術の日取りを決めた。

手術前日、私も担当医に呼ばれ、手術の説明と、リスク、書類への同意書への説明などを受けた。
当日、血圧や発熱などが無ければ、手術を行う事を言われる。
手術当日は、事前に母に付き添う事、術中も手術室の近くに居て、何かあったらすぐに
話が出来るように、院内に居る事、術後もしばらくは、母に付き添う事。
などなどを言われた。


そして、手術当日、血圧も発熱も正常なため、手術を行うこととなる。
母に「大丈夫だからね、起きたら、もう、手術も終わってるから、またあとでね」と
言って、手術室前まで同行した。
母は「うん、行ってくるね」と言っていた。


時間にして、2~3時間だった気がする。
帰ってきた母は、麻酔で意識はもうろうとしていた。
「母さん、分かる?無事に終わったよ。」と言うと、酸素マスクをしながら、首を縦にうなずいた。
麻酔から覚めて、安定するまで、母の病室に付き添った。
ナースステーションの前にある病室だった。


主治医から手術の様子の報告があった。
「無事に手術も終わりました。あとは、術後の経過が良好であれば、退院できます。
ただ、やはり、高齢者が脱腸になると言うのには、それなりの事が原因でないと
ならないことだから、その原因が分からないのは、不思議だね。」と。


高齢者の「骨折」などは、よく、転んだ拍子に、手や足の骨折をしたと言うのはよく聞く
事ではあった。だが、恥骨と坐骨の骨折は、あまり聞かない。
ましてや、今度は「脱腸」などと言うのも、そんなに下腹部にチカラを入れるような
重い物を持ったりなどもしない。
強いて言えば、外出する時や、買い物に行く時には、「手押し車」を押しながら、歩行してるぐらいだ。
私は「母は、実は転んだのでは?」と思っていた。


とりあえず、「恥骨・坐骨骨折」には、時間の問題で自然治癒するのを待つしかない。
「脱腸」に関しては、無事に手術をし、あとは術後の経過が良ければ、退院できる。
原因は2件とも不明ではあるが、とにかく、先は見えたので、少しホッとした。


だが、これから、母に過酷で壮絶な事が待っているとは、思わなかった。