Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「夫」妻へ毎日の暴言・別居

2001年、私は入籍のみをした。
同時に、私の「父親が他界」し、あとは納骨を残すのみとなった時「流産」をした。
父親の死と、流産のダブルな悲しみに、なんとか乗り越えようととしてる最中、今度は
夫に愛人やセフレが居た事が私に発覚した。
トリプルなショックに打ちのめされた。
「なぜ?妻が一番大変な時に......」と悔しかった。
だが、夫と話し合うも、夫は「電話やメールやチャットをしただけ、お互いに会ったら、どんなセックスをするか、お互いに時刻表を見ながら電話で話しただけ。」と言う。


夫は「学歴主義者」なのだ。
夫が自分の「不貞」を、今度は責任転嫁して「女医だと言ったから気に入っていたのに、ただの看護師かよ。」と、寝返る始末。
その自称「女医」と言う女性の、素性を会社のお金でデーターを買い、調べ挙げたのだ。
だが、夫は妻の私が愛人に逆上しないように、愛人に私の「名前・住所・旧姓・実家の住所・電話番号」まで知らせ「妻が何かしたら、これを持って警察へ行って」とまで、愛人に妻を売る始末。


そして、最初に夫に愛人が居た事が私にバレた時、私は愛人とも電話で話した。
愛人は「もう、ご主人とは会いません、電話やメール、チャットが来ても話しません」と言っていた。夫も同じ事を言っていたのだ。


だが、なんと、それは「嘘」だったのだ。
夫は都合の良い事に「君に愛人とは別れた証拠をちゃんと見せるよ。」と言い、彼女との
チャットの会話を私の目の前で見せた。
話しの内容は、あたりさわりのない事、だが、何かギコチナイ、不自然な気がした。
夫が愛人に「そんなわけで、妻にバレたから、もう、チャットのアカウントも削除して」
と夫が打ったのだ。すると、愛人が「え?全部?」と返事が返ってきたのだった。
私は、その愛人の言葉で「ピン」と来た。
チャットのアカウントがひとつなのであれば、わざわざ愛人が「全部?」などと言ってくるはずがない。と言う事は、チャットのアカウントは、数個あると言う事だ。
すぐに、夫に問いただした。
すると、あっさりと「このアカウントは、君に見せるために、事前に彼女と打ち合わせした。」と。
夫のほかのアカウントや、メールの内容を見ると「バレちゃったから、しばらくおとなしくしてましょうね。」と愛人が書いてあったのだ。


何が悔しいかと言えば、不貞をした事に反省もしない。
それどころか、二人して妻の私を欺き、裏でまだ繋がっていた事。
私は愛人の顔も名前も知らないのに、愛人は私の名前も顔も、旧姓も住所も知っていること。だ


夫は、今度は、自分の不貞を棚に上げ、話しの筋道を逸らす工作をしてきた。
ある意味「開き直り」それが「暴言」となった。


夫の言い分はこうだ。
・「もともと、俺は君との結婚に乗り気じゃなかった。俺が結婚にノラリクラリして
  る事を、君が察知して君から身を引いてくれれば良かったんだ。」
・「俺は高尚は会話のできる相手が欲しかった。君のように高卒ではそれができない。」
・「俺に対等に扱って欲しければ、前の嫁さんの様に、俺の年収や学歴と同じになって
  から言え。」
・「俺の親父は、君と結婚する時 『家計はお前が管理しとけ、大学は公立以外は
  大学ではない、嫁の親も嫁も三流の大学さえも出てないような人間は泥棒と
  同じだ。うちの家系の財産を狙う泥棒と同じだ』と言っていた。だから、君には
  家計を預けないし自由にカードも使わせない。」
・「俺の両親は三流の大学さえも出ていない君を嫁とは認めていない。だから、結納も
  結婚式も披露宴もしないんだ。うちの両親は君にも君の両親にも会いたくもない
  し、話したくもないと言っていた。」
・「俺にとっては、君との結婚は不本意なんだ。君が身を引かなかったのが悪い。
  だから、俺が愛人を作ろうと、セフレを作ろうと俺の勝手だ。」
・「俺は実家に勘当された、君も同じように親から勘当されればいい。」
・「だいたい、君の両親は娘が嫁に行っても不自由なく大金を持たせなかったのが
  悪いんだ。」
・「俺は結婚には向いていない。だから、離婚してくれ。」
・「子供は流産して良かったよ。もし、子供が生まれたら、俺と親父のために利用する
  つもりだった。」
・「学歴のない君とは、もし、子供が生まれても、教育方針で意見が違うから喧嘩に
  なる。」
・「頼むから早く死んでくれ。俺は俺のじいさんの様に、定年になったら故郷にひとり
  で帰り、若い女性と再再婚したいんだ。」

などなど、毎日毎日、夫は帰宅すると、私に言ってきた。
そのたびに、大ゲンカになる。


そんなある日、2002年の新年を迎えた1月。
私の体調が崩れ始めた。
「下痢」が止まらなくなった、今までの人生であまりお腹を下したことはなく
整腸剤や下痢止めなど、成人分量の半分も飲めば、ピタッと止まっていた。
だが、この時は、何を飲んでも下痢は止まらず、お腹の痛みに耐えていた。
当初、石川県と言う寒い北陸の冬だから、冷えたのだろうと、思っていたが
どうやら違かったのだ。


そして、次は「夜眠れなくなってしまった。」
そして、次は「夜が異常に怖くなった。」
そして、次は「乗り物に乗るのが、異常に怖くなった。」
そして、次は「人と話しをするのが、怖くなった。」
そして、次は「胃が痛くなり、起きてられなくなった。」
何かがおかしい、私の体は何か異変が起きている。そう感じた。

右も左も分からない、初めて来た土地。夫の仕事仲間も夫は紹介もしてくれない。
子供を持つ事も拒否され、ママ友なども居ない。常にひとりぼっちだった。
これが、石川県でも、金沢市に住まわせてくれていたら、きっと、違っていただろう。
結婚してからも、私は仕事をするつもりでいた。正規雇用でも人材派遣でも良かった。
石川県でも、金沢市に住めば、仕事をすることも可能だった。
私は「金沢市に住みたい」と夫に言うも「俺が、通勤に遠くなるからイヤだ。」と拒否。
当時の住まいは、山をひとつ切り崩した上に立った「社宅」だった。
周りは工場ばかり、最寄の駅から金沢市まで電車が一時間に一本あるか無いかの所だった。そして、その最寄駅までも、行くバスもない環境だった。もちろん山を歩いてなど
行ける場所ではない。理由は冬以外は平気で「熊」が出るような山。雪が降ると、平気で車がすっぽり埋まる。
北陸の住民は、まさに「集落」でできている。よって、県外から来た住人は受け入れない。田んぼの中に集落のお墓があるような地域なのだ。


夫の仕事仲間の奥様連中は、自分の夫の出身大学への自慢と、子供たちのお受験への自慢、そして、自分たちの出身大学の自慢ばかりだそうだ。
当然、私のような、専門学校卒では、バカにされると、夫は仕事仲間に私を紹介したがらなかった。
でも、唯一、夫の仕事仲間で、夫は東大、妻は短大卒で、その妻は金沢市の出身。
その「奥様族」に入るのがとても嫌いで、付き合いしたくないと言う人がいた。
その人が、私を不憫に思ったのであろう、いつも気にかけてくれた。
車もあり、運転するのが好きだと言う、その奥さんが、いつも金沢市までドライブしお茶を飲み、気晴らしに連れ出してくれたのだった。


体調が悪い事を夫に言うも「君は精神病なんだよ。精神科に行け。」と言うだけ。
そして、夫は私を「精神異常者」として扱いたかったのであろう。
それも、「離婚の理由にするため」に。
夫は、自分でネットで調べ、精神科に私を受診させようと懸命だった。
「俺が薦める精神科に通院するなら、連れて行く、だが、それがイヤなら自分で探して
通院しろ。俺は君の運転手ではない。自分で車の免許を取って通院しろ。
タクシー代や、他の病院に通院するなら、交通費も治療代も渡さない。」と言うだけ。


やもなく、夫の薦める「精神科」に行った。
「パニック障害」「うつ病」「不安神経症」「不眠症」と病名がついた。
だが、初診で6種類の薬を出された。医者の言うとおり、はじめは飲んだ。
ところが、飲んだ途端、目が回り始めたのだ。とても立ってられない。
薬を飲むのを止めた。
そのことを、次回の診察の時に、医者に言った。
ところが、その医者は、いきなり机を両手で叩き「なぜ、俺の出した薬を飲めないんだっ!」と、すごい剣幕で怒鳴りだしたのだ。
それ以来、その医者には通院しなかった。


そして、丁度、父親の法事で実家に帰った。
その時、実家の近くの胃腸科に行き診てもらった。
胃カメラで検査をした。二度目の胃カメラだったが、異様に恐怖を感じる検査だった。
これも、パニック障害のひとつなのであろう。
「胃潰瘍」だった。良性のポリープも見つかった。
その先生は、私の今までの事情を聞いてくれた。
たまたま、その先生の出身が、石川県だったため、石川県に戻ったら、病院を紹介して
くれることとなった。


そして、石川県に戻り、紹介された病院に行ってみたのだった。
「医者に対しての恐怖感」があった私を、その病院の院長先生は何も言わず話しを聞いてくれたのだった。そして「あなたには、良いスタッフを紹介しましょう。あなたの思いや
なんでもそのスタッフに話しをしなさい。」と言って、すぐに、別室でそのスタッフさんを呼んでくれたのだった。
その人は「カウンセラー」さんだった。
「なんでもいいです、あなたの気持ち、思い、悔しさ、悲しさ、怒り、私に話してください」と言ってくれたのだった。
始めは、やはり、人間不信になった私は、話す事ができなかったが、そのスタッフさんの根気強さと、包容力、温かさを見る事で、私も徐々に心を開く事が出来た。
私の話しを聞いて、そのスタッフさんは、涙を流していた。
「あなたは、よく頑張ったね。よく生きててくれたね、私はそれが一番うれしい。」と。
夫に「頼むから、早く死んでくれ!」と言われた私が、こんな風になんの関係もない
スタッフさんから、言われた言葉に、私自身も「あ、私は生きてていいんだ」と少しずつ信頼できる人が出来るかも、と思えるよになって行った。


そして、その病院に胃腸科と、呼吸器科もあるので、カウンセリングも含めて通院したいと、夫に言った。
夫は案の定「俺は君のために、時間もお金も使うのはイヤだ。自分で行け!」と言うばかりだった。
そして、院長先生に、そのことを伝えた。
すると、院長先生が「うちの病院には、ボランティアさんが居て、ひとり暮らしのお年寄りで、通院に来れない人のために、車で送り迎えをしてくれる人が何人もいるんだ。
君の場合、特別にボランティアさんに俺から頼んで、通院に来れるようにしよう。」と
言って、すぐに手配をしてくれたのだった。
これには、本当にありがたかった。救われた気持ちだった。


そして、体調の異変はそれだけに留まらなかった。
突然、手足に水泡ができたのだ、皮膚科に行くも、原因が分からない。
かゆみ止めだけ処方され、塗っていたのだが、一向に改善しない。
カウンセラーさんが居て助かっているものの、メンタルな病気の薬もない。


夫の暴言は毎日、続いた。


私は限界だった。このまま自分の通院さえ、夫にコントロールされることに「命の危険」
を感じたのだった。
「離婚するならいつでも出来る」と思い、とにかく、まずは「自分の体調を最優先しよう」と思った。諸悪の根源は「夫」であり、その夫のそばで、知らない土地のままで
一緒に居ても、病気の改善にはならないと思った。
しばらく、実家の横浜に帰り、父親の法事やら、実家の荷物の整理やら、母親を休ませてあげたい気持ちもあった。実家の横浜で私も「少し療養したい」と思った。
「身体的にも、メンタル的にも」通院も実家の横浜であれば、ひとりで通院できる場所にある。少しでも自分に負担にならない方法を選んだ。


なんとか、2003年まで頑張った。離婚を前提に結婚する人などいない。
縁あって夫婦になったのだから、きちんと話し合い、結束していかないといけない。と
思って頑張ってきたのだった。
だが、とうとう、2003年の春、実家に帰る事を決意した。
もちろん、離婚も念頭に入れた。


石川県で、夫の不貞や暴言から、離婚を迫られてる事、弁護士に有料も無料も20件ほど
電話で相談をした。
だが、決まって言われる言葉が「不貞の証拠が確実に無いと、離婚調停も難しいです。
離婚専門の弁護士はいないので、奥さんへの勝率は難しいでしょう。」だった。
夫婦ごとの件に、まともに向き合ってくれる弁護士さんは居なかった。


2003年、5月のGWに、私は実家に帰り「療養」目的とした「別居」をすることとなった。


私が横浜の実家に戻ってからも、夫の電話での暴言は続いた。
電話口でも二言目には「離婚してくれ。慰謝料を払いたくないから、離婚は君から言い出せ。」と。

横浜でも弁護士に何件も、有料や無料相談に行った。
やはり、有料であっても、まともに向き合ってくれる弁護士さんはいなかった。
諦めの境地で、ある弁護士事務所に行った。
弁護士さんが親切にアドバイスをしてくれた。
「この状況で、たとえ離婚調停になっても、奥さんがもらえる金額はせいぜい100万円がいいところです。もちろん、ご主人からは、離婚を前提にと言ってくるでしょう。
その100万円で、離婚しても、奥さんが新しく住む場所を探したり、弁護士費用を出したら、奥さんの手元に残るのは、週十万円ですよ?バカらしいでしょ?
だったら、別居をしたのだから、ご主人の暴言は録音しておいて、日記でもいいですから、書留めておいて、右の耳から左の耳に流しなさい。婚姻してる間、妻が病気になり治療費を払わないと言うなら、扶養義務を怠ってるのはご主人ですから、非はご主人にあります。慰謝料の額と言うのは、婚姻年数が重要ですからね。離婚しない方が得ですよ。
治療費を奥さんに渡さず、奥さんの病気が悪化したりしたら、これも、ご主人に非があります。ぜひ、今までの病院から、診断書を取っておいて下さい。初診日が重要です。
それと、婚姻には、ご主人の収入の半分は奥さんにも、もらう権利があるんです。法律的にね。だから、ご主人が給料やボーナスを奥さんに、半分も渡さないとなると、ご主人に非があるとみなされます。ご主人のやりたいようにさせておいて、記録しておいてください。ご主人の年収がどれだけあるか、給与明細など奥さんに見せないとしても、それは役所で収入の証明書が取れますから大丈夫です。」と、弁護士さんにアドバイスされたのだった。


丁度、コミュニティで、夫や妻に不貞をされた人たちが情報交換する場所があった。
そこに参加していた私は、似たような境遇で年齢も近い女性と知り合った。
後に、この女性のしつこさに、言い争いになり、決別したのだが、この女性は
離婚調停をしたのだ。ご主人が愛人の家に入りびたり、メンタルな病気も患った。
好都合だったのが、妻側の弁護士さんが、この愛人の家に行き、現場を見ている事
ご主人がペラペラと愛人だと、妻側の弁護士さんに認めた事、妻は離婚をしないと言ってること(離婚調停の場合、たとえ夫に不貞があり非があっても妻は、夫を責めず、愛してるから、離婚しない努力をしてるんだ。と言わないとダメらしい)
そのことから、まさに奇跡的に、500万円の慰謝料を勝ち取ったのだった。


「不貞」の証拠を見つけるのは、難しい。
このコミュニティで知り合った女性も「私の場合は、夫がバカだから、愛人と同居して
そこに、私側の弁護士を家に招きいれて、ベラベラしゃべったのが、証拠になった。
普通なら、ありえないと、弁護士さんも言っていたのよ。」と言っていた。
「素行調査」もお願いしたことがあるそうだ。
だが、素行調査の料金は、そうとう高いそうだ。
確実に離婚裁判になった時に、有利になるかと言えば、そうでもないそうだ。
裁判所から「500万円の慰謝料を勝ちとった」彼女だが、現実は払ってもらっていない。
彼女の夫が「重度のうつ病」となり、会社も辞めてしまったからだ。
退職金など、微々たるものだそうだ。
彼女の夫の治療費もかかる。入院も必要だと医師が判断すれば、入院費に退職金は消えると彼女は言っていた。
そして、愛人には、一切お咎めなしを条件に、彼女の夫は愛人を守ったのだ。
「守る相手が違う」と思った。


彼女自身も「うつ病」を患ってしまった。それは当然であろう。彼女は夫のために
一生懸命に、食事を作り、家を守り、頑張ってきたのだから。
最後に彼女と話しをした時「もう、慰謝料はあきらめた。この家も夫の名義だから
どうなることやら。私は実家に戻らないと暮らしていけない。」と言っていた。


「不貞」をする者にとってみたら「遊び」や「心のよりどころ」「私は奥さんから彼を奪ったのではない。彼が私を選らんだだけ。」などと、身勝手な言い分を言う人が多いが
それが原因で、人生が壊れる人が居ると言う事を、理解するべきだ。
だが、一番悪いのは、本来守るべき妻が居ながら、他の女性と関係を持つ男の方だ。


そして、2017年になる今でも、私は「うつ病」「パニック障害」「不眠症」に悩まされている事実。もう、15年間になるのだ。
どんなに医学が進歩して、薬も進歩しても、ココロに受けた傷は、なかなか良くならないのだと実感した。


そして、この厄介なメンタルな病気を持ちながらの、長年の母親の介護となってしまったのだった。
夫は、その後、妻の私に自分の給料を使わせたくないと、給与振込も自分だけ知る銀行にして、給料もボーナスも一切、私から見えなくしてしまったのだった。
離婚に関しても、今は迫りはしないが、お金の事で言い争いになると必ず「離婚」を切り出してくるのだった。
そして、夫の究極は「給料の半分を住宅ローン」に勝手に組んでしまい、マンションを買ってしまったのだった。
もちろん、私には、残りの給料から「食費・治療費」だけを、私に渡す様にしたのだ。


このマンションも、夫名義である。
たとえ、私より先に夫が他界したとしても、夫には下に2人の兄弟がいる。
遺産となっても、妻の私にはまるまる残る事がないのだ。
遺産相続については、よく分からないが、妻には4分の3の権利、夫の二人の兄弟には
4分の1の権利があるそうだ。これは、夫の母親が他界した場合だ。
夫の母親が健在であれば、その4分の1の内、8分の1づつが、兄弟2人に行くそうだ。
それは、あくまでも、現金で渡すそうだが、夫に現金の遺産が無い場合は、このマンションを売り、その相当な金額を、遺産として、夫の母親、兄弟2人に渡さないとならないらしい。


そうなれば、私は両親も他界し、遺産もない、このマンションを売り、夫の母親と兄弟に遺産として現金を渡した場合、私には住む場所がなくなるのだ。


普通なら「自分が他界した場合、妻が露頭に迷わないように、してあげないと」と思うだろうが、離婚をしたがってる夫は.............


きっと、夫がきちんと、妻をフォローし、感謝し、協力してくれていれば、私も「感謝」の気持ちはあったはず。
だが、夫は今まで、妻の私を自分の両親にさえ、一度も会わせた事もなく、話した事もない。顔も知らないのだ。そして、夫の両親までもが、私や私の両親に対して、学歴が無いと言うだけの理由で、「財産を狙う泥棒だ」などと言い、それを夫はフォローもしない。夫には弟が二人居るが、会った事もなく、話した事もない。
今まで妻が大変な時、夫は愛人を作り、妻に暴言を吐き、自分の悪事を正当化し、離婚を
迫った。妻の両親にまで、屈辱的な言葉を吐き、妻が離婚に応じないと、給料の半分を住宅ローンに勝手に組み、妻に一切の給料やボーナスの支給も見えないようにした。
妻にはクレジットカードも一切使わせない、私だけの生活費と称して現金を渡すのみ。


もちろん、妻の衣類などは買う事も拒否。すべて妻だけの生活費(食費・治療費)の中で
やるくりして買えと言う。
家の中の物を買うにしても、たとえ100円であっても、夫に事前に承諾を得ないと買えない。タオル一枚にしても、洗い替えが必要だと2枚買おうとすれば「一枚買うと言ったのに、2枚買う理由を述べよ」などと言う。


もちろん、旅行など、16年前に行った新婚旅行以来、どこにも連れて行ってももらえない。だが、夫は「出張」と称して、国内外に行く。
何か、お金の事でもめれば、二言目には「離婚」と言う夫。


毎週末に、食材の買い物にスーパーに一緒に行っても、自分が食べない物を買い物かごに
私が入れれば「俺は食べないから(買うな)」と言う。
逆に、私が食べない物でも平気で自分だけが食べる物は買い物かごに入れる。
夫が私に言う様に言えば「俺は、働いて稼いでるのだから(買うのは当然)」だと言う。


これでは、どうやっても、夫に「感謝」の気持ちなど湧くはずがないのだ。
「モラルハラスメント」言葉の暴力で受けた傷は、見えない、見えないからこそ、月日
と共に、良くなってるのか、悪くなってるのかが、分からないのだ。医者にもだ。
どんな良い薬を飲んでもだ。
俗に言う「諸悪の根源」である夫が、ひとつ屋根の下で暮らしていれば、治るものも治らない。
かと言って、離婚をすれば、私は確実に家もなく、職もなく、露頭に迷う。
夫にとってみれば、離婚をしても、何も変わらない。むしろ得をする。


私が持病を持ちながら、体調が悪い時でも、母親の介護は容赦なかった。
そんな中、夫は私に言った言葉があった。
「今大変でしょう。離婚調停して、もっと大変にしてやろうか?」と。


妻を支えるどころか、脅し、より負担をかける夫。
こんな人間が「先生」と呼ばれるのだ.........また「有識者」などとも呼ばれるのだ。