Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」右大腿骨人口骨頭が外れる

最初は右足、次は左足、両足の太ももの付け根を人口関節にする手術をして、リハビリも経過良好に進んでいた。
やっと退院する事ができた。
これから、私は、母の「障碍者申請」「介護度変更申請」の手続きのために、自分の住まいの役所に「戸籍謄本」を取りに行き、今度は母の住まいの役所に、代理申請に行かなければならず、忙しくなると思った。
その合間に、自分の通院と、体調が悪化しないか、不安と闘いながらだった。


だが、退院した日の夜、訪問看護師さんから、私に電話が来たのだ。
「お母さんが、家の中で転んで、動けないと言う電話が来たのよ。すぐに駆けつけたんだけど、太ももの人口関節が外れてしまってるみたい。これから、退院した病院に電話して受け付けてくれるか聞いてみるね。」と。


すると、退院した病院からは「救急の担当日ではないし、整形外科の担当医がいないので
来ても受け付けられません。明日、昼間に外来に来て下さい。」と言われたそうだ。
私が今度は電話をした。
「明日昼間外来に来いと言われましたが、本人が動けない状態でどうやって明日の外来時間まで待てと言うのでしょうか?」と。
すると、病院は「夜間当直の医師に変わります」と言う。
夜間担当医に変わった。
やはり、言うことは同じ。
私は「明日、タクシーで行く事もできない状態です。とにかく、動かせないのですから。
転んだままの状態から本人も動けないのですから。」と言った。
夜間勤務医は「それでは、とりあえず、来て下さい。」と言った。


ありがたい事に、訪問看護しさんが、ずっと母に付き添ってくれた。
病院に行く際も、入院が決まるまでの時間、付き添って下さった。


そして、救急車を呼び、病院に到着した。
整形外科の先生ではなかったが、外科の先生が当直医だった。
「レントゲンで見た所、やはり、右足の人口関節が外れていますね。このまま入院して、朝、整形外科の医師が来たら、診てもらいましょう。」と。


だが、レントゲン室から、母がなかなか出てこない。
時折「痛い!痛い!」と叫ぶ声が聞こえる。明らかに母の声だった。
どうやら、外れた人口関節を、足をひねって、正常な位置に持って行こうとしてるらしい。何度も何度も母の右足を引っ張っては、押す、の繰り返し。
我慢強い母が、あれだけ、悲鳴を上げるのだから、よっぽど痛いのであろう。
夜中、待合室で待ってる私の方が、母の悲鳴に不安を覚えた。


とりあえず、訪問看護さんは、息子さんに病院まで迎えに来てもらい帰宅した。
私は、そのまま病院で入院の手続きをした。
昨日の今日の退院で再入院。言葉が無かった。


頭の中では、分かっているが、母に対して怒りもあった。
「母さん、どうして、あれだけ気を付けて歩いてね。って言ったのに、こうなるの?」と
母は「足が滑って、そのまま立てなくなってしまったんだもの。」と言う。
折角、退院に向けて「ケアマネ・介護ヘルパー・訪問看護・デイサービス」などに
今後の方針や、依頼をしていたのに、また、キャンセルをしないとならない。
そういった細かい手続きは、すべて私ひとりに来るので、もう、入退院の度に私自身も
疲れていたのだ。


そして、整形外科の担当医が来た。
「どうしたの!折角良かったのに、人口関節外れちゃったね。これは、再手術して
布設し直さないとならないんだよ。また、入院して手術だね。」と。


ところが、どうやら「発熱」があり、「血圧も高い」と言う。
これでは、手術もできないと言われた。
母は、ナント、ベットに右足にワイヤーを取り付けられ、重しをつけてベットの下に
足が重みがかかるようにしてるのだ。
理由は「外れた人口関節が、そのままにしておくと、曲がったままついてしまうから、それを防止するため」だそうだ。


母は「足は痛いし、寒いし、重いし、寝返りも打てないし、もうヤダ」と珍しく弱音を
吐いていた。
なかなか、熱と血圧が下がらない。
毎日、母の見舞いに行くが「痛い」「痒い」「重い」「寒い」と繰り返す。
母の持病「膠原病」は、手足頭に血液の循環が悪くなる病気。
ただでさえ、冬になると「手足が冷たい」と、蝋人形のような色になってしまう。
靴下を何枚も何枚も重ね着しても、お酒を飲んでも、暖まらないのだ。
頭にも血液の循環が悪く、常に「頭痛がする」と言っているほどだ。
そんな母が、靴下も履かせてもらえず、素足で、ワイヤーでつるされ、毛布も掛けれない
のだ。しかも、発熱があり、悪寒がするのに。


医師は「血圧と熱が下がるまでは、ワイヤーは外せない」の一点張り。


だが、この時には、これから訪れる、母の重篤な出来事の前触れだとは思いもしなかった。