Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」恥骨・坐骨、骨折

母の「脱腸」の手術も無事に終わり、退院した。
だが、すぐに「まだ、下腹部が痛いのよね.....」と言う。


外科医へ経過を見せに診察する。
私は今回、自分の通院の日なので同行しなかった。
外科医は「盲腸も手術で取って、術後も良好だから、それでも痛いと言うなら、それは
整形外科だから、カルテを回すから、診てもらって。」と相変わらず、横柄で冷たい態度だったそうだ。


整形外科での診察のため、また、何時間も待ったらしい。
やっと呼ばれたかと思うと、今度は、レントゲンにCTに、また血液検査に。
母の下腹部の痛みの原因は「恥骨、坐骨骨折」だと言われたそうだ。
整形外科医は整形外科の中でも、ベテラン医師。
整形外科医は母に「部位的に、骨折しても、何もできない。自然に付くのを待つしかない。痛み止めの飲み薬と、塗り薬を処方するから。」と言われたらしい。
次回の診察の予約をして帰宅。


そして、次の診察時。私は同行した。
整形外科の主治医の呼ばれる。
「お母さん、恥骨を坐骨を骨折してるんだけど、転んだ?」と聞かれた。
私は「いえ、母から転んだと言う話しも聞いていないし、転んだ所を見てないです。」
と答えた。
主治医は「そっか、骨折部位的に、転んだとか、強打したとかじゃないとありえないんだよね。」と言う。
主治医は「骨折部位には、何もできないので、自然に付くのを待つしかないんだ。
時間はかかるけど、あとは、痛みとの闘いになる。」と。
そして、また、痛み止めの飲み薬と、塗り薬を処方されて帰宅した。


母は「痛い」と言っていた。
母が転んだりすれば、私に言うはずだ。
高齢者でもあるため「骨密度」も弱く、転べばすぐに骨折につながる。
でも、部位的に何もできないのであれば、時間を待つしかない。
母には「歩く時には、気を付けて、無理して走ったらダメだよ」と言っておいた。


やっと「脱腸」も手術で良くなったのに、今度は「恥骨・坐骨」の骨折とは。
そして、次は.......整形外科の先生までも「厄払いに行った方がいいよ。冗談抜きで」と
真剣に言われてしまう事が起きたのだった。

「母」腹部の痛み

2007年に水漏れがあり、被害者の母が、加害者に訴えられ、裁判となった。
2008年の半ばに終わり、母は水漏れ事件と、裁判との心労で「肺炎」を起こし入院。
やっと治り、退院した、翌年の2009年に「腹部が痛い」と言い出した。
すぐに、かかりつけ医に受診。主治医は「もしかしたら、盲腸かもしれない、外科のある病院に紹介状を書くから、行って検査をした方が良い」と言われた。


横浜の南部にある、中小の病院。
私も同行した。
始めは「内科」の先生が院長なため、内科に受診した。
何時間も待ち、やっと診察すると「これは、盲腸かもしれない、外科に回すから」と言う。レントゲン、血液検査、などをして、外科の主治医に呼ばれた。
横柄な態度の外科医。
「これは、脱腸だ。盲腸だよ。普通に生活してたらならないよ。思い当たる事ない?
たとえば、脱腸の原因は、出産の時のいきみ、頑固な便秘のいきみ、腹部を強く打った
とか、まぁ、出産はありえないね。(笑)」
母は「便秘でもないし、腹部を強く打った事もないです。」
外科医「そう?うーん、まぁ、とりあえず、脱腸になったら、もう、手術しないとならないから、すぐに入院手続きをして。」と。


すぐに、入院の手続きをした。
いろいろな検査をして、手術の日取りを決めた。

手術前日、私も担当医に呼ばれ、手術の説明と、リスク、書類への同意書への説明などを受けた。
当日、血圧や発熱などが無ければ、手術を行う事を言われる。
手術当日は、事前に母に付き添う事、術中も手術室の近くに居て、何かあったらすぐに
話が出来るように、院内に居る事、術後もしばらくは、母に付き添う事。
などなどを言われた。


そして、手術当日、血圧も発熱も正常なため、手術を行うこととなる。
母に「大丈夫だからね、起きたら、もう、手術も終わってるから、またあとでね」と
言って、手術室前まで同行した。
母は「うん、行ってくるね」と言っていた。


時間にして、2~3時間だった気がする。
帰ってきた母は、麻酔で意識はもうろうとしていた。
「母さん、分かる?無事に終わったよ。」と言うと、酸素マスクをしながら、首を縦にうなずいた。
麻酔から覚めて、安定するまで、母の病室に付き添った。
ナースステーションの前にある病室だった。


主治医から手術の様子の報告があった。
「無事に手術も終わりました。あとは、術後の経過が良好であれば、退院できます。
ただ、やはり、高齢者が脱腸になると言うのには、それなりの事が原因でないと
ならないことだから、その原因が分からないのは、不思議だね。」と。


高齢者の「骨折」などは、よく、転んだ拍子に、手や足の骨折をしたと言うのはよく聞く
事ではあった。だが、恥骨と坐骨の骨折は、あまり聞かない。
ましてや、今度は「脱腸」などと言うのも、そんなに下腹部にチカラを入れるような
重い物を持ったりなどもしない。
強いて言えば、外出する時や、買い物に行く時には、「手押し車」を押しながら、歩行してるぐらいだ。
私は「母は、実は転んだのでは?」と思っていた。


とりあえず、「恥骨・坐骨骨折」には、時間の問題で自然治癒するのを待つしかない。
「脱腸」に関しては、無事に手術をし、あとは術後の経過が良ければ、退院できる。
原因は2件とも不明ではあるが、とにかく、先は見えたので、少しホッとした。


だが、これから、母に過酷で壮絶な事が待っているとは、思わなかった。

「母」が家具の下敷きに

母が肺炎で入院し、一時は命の危険を言われたが、無事に治り、退院した。


そして、家の中も、水漏れされた部屋の押し入れや、畳、納戸、天袋など、二部屋分
も、業者が来て全部修理をしてくれた。


やっと、母も平穏な日々に戻ると思っていた。


初夏のある日、母が水漏れされた部屋が北側だったことで「カビが生えたら大変」だと
風通しを良くし、クローゼット、押し入れ、天袋、納戸、タンスの中を、開けていたそうだ。
母の家に、食事を届けに行った時、母がこう言ってきた。
「実はさ、この前、お母さん、タンスをひな壇にしてたら、タンスが倒れてきて、下敷きになっちゃったのよ。」と。
私はびっくりした。タンスは今のタンスと違い、昔のタンスは「重い」のだ。
あのタンスの下敷きになったことにびっくりしたのだ。
私は母に「え!どうやってあんな重いタンスの下敷きになって、出てこられたの?
どこか、怪我したの?」と。
母は「タンスの上に置いてあった、お人形ケースが先に落ちて、隙間を作ってくれたのよ、だから、お母さん、ひとりで出られたのよ。その代わり、お人形がダメになってしまったのよ。どこも痛くもかゆくもないのよ。」と。
私は「今回は、無事に出られたけど、ひとりで暮してるのだから、出られなかったら
大変なことになってたのよ!なんで携帯を持てって言ってるのに、持たないの!」
と私は母を叱った。
母の口癖である「大丈夫よ」と言う。


母はなんでもない、痛くもない、怪我もない。と言っていたが、私はその事がずっと頭の片隅にあった。
あんなに思い、タンスの下敷きになって、いくら、上にあるお人形ケースが先に落ちて、隙間ができたとはいえ、擦り傷も、アザもないなんて、私でさえ、あんな重いタンスの
下敷きになったら、自力で出てこれるか?と。


後に、これが原因なのか、母は原因不明の骨折が続くのだった。