Blue Moonのブログ

日々の出来事や思う事、などを綴って行くブログです。
また、長年の母の介護での、実際に起こった問題なども、綴って行きます。

「母」今度は左足大腿骨骨頭壊死

無事に右足の太もも大腿骨の付け根の関節の骨折してから、人口関節の手術をし
リハビリや、左右の足の長さの違いへのリハビリ用の靴を調節して、やっと退院した。
退院後も、経過を見せに通院しなければならない。


そして、その経過の診察は、レントゲンやCTや血液検査などをする。
結果報告で、整形外科の担当医から私は呼び出された。
「えっと、右足の人口関節の状態は良いです。ただ、残念な事に今度は、左足の同じく
大腿骨の付け根の関節も、骨折してて、そこが壊死してるんです。骨がドロドロになってしまってるんだよね。右足の時も同じだったんだけど、検査機関に出したのだけど、原因は分からないと言っていたんだ。まずは、骨折しないとドロドロにはならないんだ。
たぶん、右足の付け根の関節が骨折してた時期と、左足の今回のも同じ時期だね。
右足の時の検査では、左足の所見はなかったんだけどね........」と言ったのだ。


整形外科の先生が検査しても、分からないものを、素人の私や母が分かるはずもない。


そして、整形外科の担当医は同じ事を言う。
「うーん....なんでこうなるのかね?恥骨・坐骨も骨折し、右足の付け根の関節が骨折し
今度は左足の付け根の関節の骨折........お母さんは転んだんじゃないかと思うんだよね。
娘さんに叱られるから言えないんじゃない?じゃなかったら、短期間でこんなに骨折しないよ?ふつうは。」
「まぁ、とりあえず、今回の左足も、入院して手術して、また、人口関節にしないとならない。前回も言ったけど、冗談じゃなくて、本当にお祓いに行った方がいいよ。」と。


医者も最後、原因不明だと「神頼み」になるのか?と思った。
しかも、関節の骨折した部位が、ドロドロに溶けるとは..........原因が分からなければ
防ぎようがない。


以前、私も足の小指をタンスの角にぶつけてしまい、骨折したことがある。
その時診てくれた整形外科の先生は「骨折すると、その部位にカルシウムが付着するんだよ。人間の身体はうまいこと出来てるんだよね。でも、カルシウムが適量着くことは無いんだ。だから、骨折した箇所は、今までより、骨が太くなってしまうんだよ。
それと、骨が付いて治っても、痛みはたまに来るんだ。神経伝達の問題なんだろうね。
特に、冬場になると、以前骨折した所が痛いって言う患者さんは多いよ。」と。


母のように、高齢者であれば「骨密度」も低下し、骨の中がスカスカになるとは聞く。
よって、ちょっとしたことで骨折すると。だが、ドロドロに骨が溶けると言うのは
聞いたことがない。
母の持病「膠原病」と何か関連しているのだろうか?


そして、母は、また入院し、左足の大腿骨の付け根の人口関節に布設手術をした。
母に手術当日「また、同じ手術になっちゃったけど、大丈夫だからね。待ってるから
安心して行っておいでよ。」と手術室へ送り出した。
母は「うん、どうなってるのかしらね....」と言いながら、手術室に向かった。
時間も同じくらいだったが、無事に成功し、ナースステーションとなりの病室に移された。
母はやはり、麻酔で意識はもうろうとしながら、私が「無事に終わったよ。」と言うと
「うん、痛い」と言っていた。


そして、また、リハビリと、左右の足の長さの違いを見て、靴の高さ調節をして頑張った。
やっと、退院の日も決まった。


同じく「今度は、両足とも、人口関節になって、靭帯が無いから、転んだりしなうように
十分に気を付けてね」と、医師や理学療法士・作業療法士・看護師などに言われていた。


そして、退院後の自宅での生活のために、ケアマネ・介護スタッフ事務所・介護用品屋
訪問看護・デイサービスなどの担当責任者が呼ばれ、担当医と入院先の病院の看護婦長
など、10名ほどが集まり、会議をした。


ここで「介護度」の申請と、「障碍者」の手続きをすることに決まった。
また、これが、娘の私ひとりに、手続きのいろいろな書類が来て、記載し、病院や
役所に手続きに行かないとならないのだった。
ここで問題が、娘の私は結婚し、旧姓ではないため、役所に行って「娘である証明」を
取り、それを持って「代理手続き」をしなければならないのだ。
これが、かなり面倒なのだ。


だが、これから、まだまだ、母が困難と苦痛とが待っているなどと思ってもみなかった。

「母」悪徳介護スタッフ


ここで、今まで、母の介護を10年以上した経験から、ひどい介護スタッフの例を
書いておこうと思う。
これから、親の介護をする人たちに、少しでも失敗しないために、頭の片隅に置いて
おいて欲しいと願う。
以下の介護スタッフは、すべて、実際に母の介護スタッフだった人たちだ。


母の介護スタッフ事務所
今まで「要支援」「要介護」と、いろんな介護スタッフ事務所と出会ってきた。
介護スタッフも本当に選ばないと大変な目に合う。


-----------------------------------① 介護支援の時間を上げる。-------------------------------------------
これは、母が「要支援」の時の事だった。
母はまだ自力で動けていた。
介護保険で賄う時間(単位数)は限られている。
その中で、母の時間は「2日置きに介護スタッフ」にお願いしていた。
ひとり「1時間」の中で「風呂掃除・トイレ掃除・部屋掃除・食事の支度」の家事援助
がほとんどだった。ただ、「掃除」に関しては、その日、その日で、母が、風呂かトイレか部屋かを、決めて行ってもらっていた。
「食事の支度」だけは、毎回お願いした。


介護スタッフも「要領の良い人」は、この一時間の間に、きちんと仕事をこなす人もいれば、こなせない人もいた。
ある日、介護スタッフの方から、母に「介護時間を1時間ではなく2時間にした方が良い」と言ってきたそうだ。
母はそのままケアマネに「2時間に拡大した方が良いと、スタッフに言われた」と伝えた。ケアマネは母の介護度と、介護保険で賄えるか調べて、足りなければ介護度数を
あげるように「申請」をすることにしたそうだ。
今の様に、介護度が、まだ厳しくない頃だったので、すぐに介護度が上がった。
母は介護保険で「2日置きに2時間の介護スタッフ」に依頼できることとなった。


そして「2時間」の間には「部屋掃除・風呂掃除・トイレ掃除・洗濯・食事支度」
が出来るようになった。
だが、私が見ていても、洗濯ものは、母ひとり分だけの少ない量だ。
母が自分で洗濯機で洗っておき、介護スタッフは、「洗濯は干すだけ」「部屋掃除は掃除機だけ」「トイレ掃除はブラシで便器の中だけ」で、30分で終わる。
残り時間1時間30分だ。


「食事の支度」は、食材は母が自分で買って来る。介護ヘルパーは自慢の腕を振るうのだが、育ちの良いお嬢様の介護スタッフだったため、「しゃれた料理」を作るのだ。
母は「私はこんな豪華か料理は要らない。普段食べるふつうな食事で良いのに」と
いつも言っていた。その料理に50分かけるのだ。
残り時間40分。


最後、帰る時にスタッフは「介護ノート」に記載しないとならないため10分は記載時間となる。
残り時間30分。


この残り時間30分で、「お風呂掃除」をするのだ。
小さいお風呂なのに、30分も掃除にかかるはずもないのだ。


「介護保険の規約」には、「介護スタッフは、細かい事はやってはならない。」とある。
要するに「掃き掃除は良いが、拭き掃除はダメ」「窓拭きは介護者本人もやるなら良い」
「電球が切れても、介護スタッフが取り替えてはダメ」「換気扇の掃除はダメ」
「すでにおいてある物を移動させての掃除はダメ」などなど、細かい規約があるのだ。


明らかに「2時間の時給をもらうために、わざと、時間をかけてやってる」としか見えない。介護スタッフ事務所はよく言う「介護スタッフは家政婦ではない」と。
だが、時給で換算するとなると、こういう問題が出ると、家政婦より要領がバラつき
得て不得手があり、担当されるスタッフによってまちまち、だが、時給は同じ。
疑問に思っていた。


------------------------------② 買い物に行くと1時間もかかるスタッフ。---------------------------
母の介護度が「要支援」から「要介護」になった時だった。
介護スタッフも、今までの人ではなく、違う人が数名、当番制で来た。


その中のひとりに、母が近くのスーパーに「買い物」を頼んだのだった。
買うものはすべて決まっている。母はきちんと買う物をメモをして、スタッフにお金と
一緒にメモを渡したのだった。


だが、待てども、待てども、帰ってこない。
自宅から、徒歩で3分ほどの距離のスーパーだ。
そして、30分して、やっとスタッフが帰ってきた。
「品物が無かったから、時間がかかったのか?」と母がスタッフに聞くと
「いいえ、帰りに、スーパーの前で、お祭りをやっていたので、見ていたんですよ~」と
返事が返ってきたそうだ。母は呆れたと言う。
すでに、そこで30分は経過してる事になる。
残り時間1時間30分、介護ノート記載時間を引くと、1時間20分だ。


その1時間20分の間に、洗濯物を干し、トイレ掃除をし、風呂掃除をしただけで
時間が経ってしまったらしい。
母の食事の支度する時間もなくなった。
母は仕方なく、その日の夕飯は、料理しないパン食を食べたそうだ。


もちろん、その事をケアマネに言い、介護スタッフ事務所に報告をした。
すぐに、その介護スタッフは外された。
絶対に、こんな事があってはならないのだ。


---------------------③ 介護中、掃除の際、物を破損しても弁償しないスタッフ。---------------
これは母が「要支援」の時の事だった。
2時間の枠の中で、お風呂掃除を30分かけて掃除するスタッフだが、その風呂掃除の際
浴槽に水を張ったままで、抜く時、浴槽の下水管にチェーンが付いてる栓がある。
その栓を、チェーンの部分だけ持って引っ張り、浴槽の水を抜くのだ。
すると、水槽の水の重さと、引っ張るチカラで、栓のチェーンが切れてしまうのだった。


でも、そのスタッフは、弁償した事がなかった。それも、1回や2回の話しではないのだ。


そして、はたきをかける時、飾ってあるものを、下に落として割れてしまっても、これも
弁償したことが無かったのだ。


お嬢様育ちのせいか、「将来は主人と温泉付きの有料老人ホームに入ろうと思ってるの。
そのお金だけでも、一億円はかかるみたい。だから、私も仕事しようと思って介護スタッフの仕事を選んだのよ。今の家をなんとか売って、あとは、二人でまだ働いて貯めれば
なんとかなるし、主人の実家が芦屋だから、相続すれば、大丈夫だわ。」などと言っていた。


だが、貯めるどころか、娘と二人でよく海外旅行に行っていたのだ。


そんな金銭感覚だからか、そんなお風呂の栓ひとつ、弁償する必要もないと思ったのか?
そんな飾ってある価値の無いようなものを壊しても、弁償する必要もないと思ったのか?
低所得者で年金生活の母には、それさえも、痛い出費になるのだ。


-----------④ 予定の時間より30分も早く勝手に帰り、虚偽報告するスタッフ----------------
これは、母が「要介護」になった時の事だった。
母が片足、右足を失ってから、家の中でも、車いすの生活になり、介護も一日に2回は
必要になった時だった。
介護スタッフも、何名かで交代して、来る様になった。
その中のひとりのスタッフが、来る時間になっても来ない。
必ず、10分~15分遅れてくるのだ。
介護スタッフの規則で「決まった時間に来れない事情がある時は、事務所に連絡すること
また、遅れた時間の分は、終わりの時間を延長すること。」と言う決まりがあったのだ。


だが、このスタッフ、時間に遅れてくるわ、終わりの時間も、30分も早く終わり
勝手に帰ってしまうのだ。
しかも、入る時間も、出る時間も、2時間だと、虚偽の報告をしていたのだった。
母が給料を払う訳ではないが、介護保険から、この時給分はスタッフに払われるのだ。
母にとっては、やるべき事をやらないで勝手に帰ってしまうことに、腹立たしい思いを
したのであろう、車椅子のため、母が追いかけるわけにはいかない。


そして、その事を、介護事務所に報告した。


すると、逆恨みをされ、このスタッフが事務所の責任者にこう言ったそうだ。
「勝手に帰るのではなく、この方の娘さんの分まで、夕飯を作らされるから帰った。」と
嘘を言われたのだった。
翌日、事務所の女責任者が、すごい剣幕で、母の家に来て文句を言ったそうだ。


私はそれを聞き、唖然とした。
理由は、私は「糖尿病」なので、ふつうの食事は食べれないのだ。
介護スタッフに私の分の食事など、一度も作ってくれと頼んだ事もない。
母が、翌朝食べるものを、作り置きして、冷凍しておくものは、スタッフには作って
もらう。


母は、この事務所の責任者に、反論もできないような剣幕で文句を言われた事に
母は相当疲れていた。


私は、これは黙っていられないと、この事務所の責任者に電話をし、言うべき事を言った。そして、ケアマネに経緯を話し、介護事務所を変えてもらった。



------------⑤ 患者さんの家の家具から押し入れから、物色し、持って帰るスタッフ。------
これは、母が「要介護」の時の事だった。
母が両足を失い、室内でも車いすを使用しなければならない時だった。
今までとは違い、介護スタッフも毎日必要となった。
朝の食事は、前日の夜に介護スタッフが用意しておき、朝、母がレンジで温める。
昼の食事は、デイサービスの日は施設で出される、それ以外の日は、介護スタッフが用意。
夜の食事は、介護スタッフが用意する。翌日の朝の分まで。


この介護スタッフは、ベテランのスタッフで年配の方だった。身なりの小奇麗な方で
私への報告する話もしっかりしてる方だった。
この時期、このベテランの介護スタッフさんしか、毎日来なかった。
その後は、交代で3名交代で来ていた。


最初の半年は、このベテランの介護スタッフが来た時だった。
母が私に「なんだか、家の中の物が無くなるのよね.....ここにあったはずの物が無いのよ。今度、あんたが来たとき、探してくれる?」と。
私は、高齢の母の思い違いであろうと思っていた。「いいよ、探そう」と返事をした。


そして、次に「あのさ、お母さんがズボンの裾からお腹のところまで、チャックが付いていて、寝たままでも、おむつ交換できる介護用のズボンを買って、洗ってタンスにしまっておいたのが、探してもないのよ.....おかしいわよね。他の介護スタッフさんも一緒に探してくれたんだけど、あったはずの物が、どんどん無くなるのよ。」と。


そして、母の自宅に行ったとき、私もタンスも衣装ケースも、押し入れも、全部探したが無いのだった。
母は嘘をつくような人ではない。正直過ぎて私が困るほどだ。母の記憶力もすごい。
親せきの誕生日や命日など、覚えているぐらいだ。痴呆でもない。


すると、ある日、母が私に「あのね、ベテランの介護スタッフさん、お母さんが夕食を
食べてる時に、ガタガタと他の部屋で音がするのよ。お母さんからは、背を向けてるし
見えないんだけど、どうやら、タンスやクローゼット、押し入れの中や、衣装ケースを
開けてる音なのよ。いつも、来る時は、紙袋を持って来て、エプロンしか入ってないみたいで、紙袋からエプロン出して、お母さんの目の前でかけるのよ。でもね、帰りに見送りすると、ベテラン介護スタッフの紙袋が、パンパンになってるのよ......変よね。」と
言ってきたのだった。
耳もしっかりしてる母には、その音が何の音か、解る。長年使っていたタンスやクローゼットの開け閉めする音なのだから。
母自身も、歩ける時には、自分で使っていたのだから、当然わかるであろう。


だが、まさか「紙袋の中を見せて」とも言えない、ある意味「現行犯」でなければ。
その音は、決まって、母が別の部屋で食事をしてる時に、すると言う。
母は室内でも車いすの生活なため、車いすにストッパーをかけられてしまえば、身動きが
取れないのだ。


そして、母は私に「銀行の通帳や、印鑑、装飾品など、あんたが家に持って行っておいて」と言い、私に渡したのだった。


そして、母とそのベテランの介護スタッフさんの目の前で、沖縄の親せきから送られて
きた、沖縄特産の織物の「財布」と「ポーチ」を引き出しの中に入れておいたのだが
それも無くなっていたのだった。それは、私が引き出しに入れたので覚えている。
確かに、物が無くなってるのだ。


ゴミ捨てなど、母は車いすでゴミ収集場までは、とても行かれない。
玄関さえ出れないのだから。すべて介護スタッフがやってるのだ。


そして、その事を、ベテラン介護スタッフの事務所の所長に母が言ったのだった。


驚いた事に、そのベテラン介護スタッフが、急に退職する事となったのだ。
しかも、その女所長、ベテラン介護スタッフの代わりに、母の手伝いに来た時の事だ。
交代したほかの介護スタッフも一緒だったのだが、所長が「私がもう一度探してみますね」と言って探し出したそうだ。すると「これかしら?」と言って持って来たと言う。
母が「どこにありました?」と聞くと、所長は「あのタンスの一番上の引き出しにありましたよ?」と言ったそうだ。
思わず、母とほかの介護スタッフが目を見合わせたと言う。なぜなら、その引き出しは
母も数回、その介護スタッフも数回、探していた引き出しだったのだ。
所長が帰った後、その介護スタッフと母が話したそうだ。
「おかしいよね。私もあなたも、一緒にあの引き出しは、何回も探したものね。」と


すると、その介護スタッフさんが、母に言ったそうだ。
「実は、あのベテランのスタッフは、私が夫を亡くしたと知ってから、異様に一緒に
外で何か食べようと誘ってきたんです、でも、会計はいつも私が全部払わされるんです。あのベテランスタッフさんが私に、どうせ、ご主人の生命保険入ったんでしょ?おごって
くれてもいいわよね。って言うんですよ、生命保険がいくら入ったのか?とかも、しつこく聞いてきたんです。私ははぐらかしましたけどね。
だから、今回、物が無くなったと聞いた時、すぐに、あのベテランスタッフだと思いました。介護用の衣類や、新品のカーテンや、お財布などが無くなったのは、あのベテラン
スタッフさんは、ご自分のお母さんを介護されてるからだと思います。」と。


母は唖然としていたそうだ。


このベテランスタッフ、同じ事を他でもやってるのであろう。
そんなスタッフをかばう、所長も所長だと思う。
この介護事務所とは、違う事務所を紹介してもらうように、ケアマネに言って止めた。


----------------------------⑥ 患者さんの財産を根ほり聞くスタッフ。--------------------------------
私も、このスタッフさんではないが、以前、母が「小規模多機能」の施設に行っていた時
この施設の責任者の母親が、訪問看護師で、何かと言うと、私に連絡してきたのだ。

やけに、いろいろ親切な方だと、私は感謝していたのだが、何回か来るうちに、母と
私に「うちは、小規模多機能も息子が経営してるのよ、泊まる事も出来るし、なんと
言っても、うちは、食事が美味しいのよ、料理人の人が作ってくれるからね。
だから、利用料も高いけどね。今度、うちの施設に来なさいよ。」と言ったのだった。


そして、その小規模多機能に母が行く様になると、最初に言っていた「食事が美味しい」
どころか、なんと、帰りに送迎バスで、コンビニに寄って、コンビニのおにぎりを買って
母に持たせて、それを夕飯に、と言ってきたり、施設でおにぎりを握って、それを帰りに持たせて、それが夕飯だったりしたのだった。


この小規模多機能の毎月の使用料は、しっかりと、母の銀行口座から引き落としされているのだった。


ある日、施設の責任者の母親が、私に「お母さん、蓄えがあると言っていたけど?そのお金、娘さんどうした?それと、お父さんが亡くなった時、生命保険とかかけてなかったの?」
と聞いてきた事があったのだった。

私は驚いて、母に「お母さん、小規模多機能の責任者の母親に、うちのお金の事何か言ったの?」と聞いたのだが、母は「ええ?そんな家のお金の事なんて、他人に言うわけないじゃないの。」とビックリした事があったのだ。


どうやら、母を引き取って、面倒を施設で見る代わりに、お金を払えと、私に言いたかったのであろう。


私はそれ以降、母と相談し、その小規模多機能に行く事を止めたのだった。


母も未亡人、その介護スタッフも未亡人、夫が先に他界すると、生命保険金が多額に
入って来ると思ってるようだ。



介護スタッフの質も本当に悪いと思った。
相手は、なんらかの身体の障害や、介護が必要だから、依頼してるのだ。
それを「ただのパート」「時給されもらえば後は、適当でいい」「決まった時間じゃ
なくても嘘の報告してしまえばいい」と、安易に考えて、介護スタッフをやって欲しくない。介護の問題のひとつでもある。
他人を家に入れるのだから、泥棒されては困るのだ。


ぜひ、こういう、悪徳介護スタッフ・介護事務所が、現実あると言う事を知って欲しいと思った。

「母」右大腿骨骨頭骨折壊死

母が「脱腸」となり、無事に手術も終わり、術後の経過も良好で退院してから
すぐに「まだ、下腹部が痛い」と言い、整形外科で診てもらうと、今度は
「恥骨・坐骨」骨折との診断。自然治癒しか方法がない部位のため、痛みと闘い
ながら、母は痛み止めと、塗り薬で、耐えた。


そして、整形外科には、毎月経過を見せに、レントゲン検査をしながら様子を見ていた。
そして「あのね、右の大腿骨骨頭、太ももの付け根が骨折してるね。これは、手術して
人口関節にしないとダメなんだよ。人間の関節は骨と骨との間に、クッションになる軟骨があって、その周りを靭帯って筋が関節が外れないように守ってるんだよ。でも人口関節
は金属で出来てるから、靭帯ができないんだ。だから、外れる事もある。それと左右の
足の長さが違ってしまうんだ。それは、片方の靴のかかとの長さを調節すればよいから。
でもね......恥骨・坐骨の骨折に、脱腸に、今回の大腿骨骨頭の骨折と言い....なんで?
お母さんに聞いても、転んでも、強打したこともないって言ってるけど、本当は転んだんじゃないのかな?娘さんに叱られると思って言わないんじゃないの?」と。


そして、信じられない事に「いや、厄払いに行ったほうがいいよ。冗談抜きで。短期間にこんなに骨折やらが続くのは、おかしいよ。」と言ってきたのだ。


私自身も、こんなに短期間で、腰のまわりばかり、痛い目にあって、どういう事なんだろうか?と思った。
母にも「怒らないから、正直に言って、本当は転んだの?」と聞いても「転んでないのよ、先生も看護師さんも、そう聞くんだけどね。まぁ、強いて言えば、ゴミ収集場所のコンテナに腰をぶつけたぐらいかしらね......」と言う。


私も考えられる事を考えてみたが、転ぶとしても、家の中であれば、壁や手すりにつかまりながら歩行するし、狭い家の中、そんなに歩く必要もない。
では、歩くと言うと、外に出た時しかない。
手押し車がつまずいて転んだとしても、前に転ぶはず、そうなれば、手や顔などに傷が出来るはず。だが、手も顔も肘も傷ひとつない。
次に車止め防止の鉄の柵につまずいたか?と思ったのだが、これも、母の膝ぐらいの高さのため、前に転べば、顔をもろに打つであろうし、後ろに転べば、頭を先に打つであろう。もちろん、顔も頭も「たんこぶ」「打ち身」の後はひとつもない。


そして、母が言う「ゴミ収集場所のコンテナの手すりに腰をぶつけた」と言うのだが
171センチの私の身長で、やっと、コンテナの手すりは、腰あたりに来る。
150センチ足らずの母の身長では、コンテナの手すりは、胸あたりになる。
コンテナの手すりに腰をぶつけたと言うのは、考えられないのだ。


そして、入院の手続きをして、また、手術だ。
術前に手術の説明を聞くために、先生呼び出される。
そして、また「同意書」にサインを何枚も書くように言われる。
その同意書も一枚一枚読まなければならない。
輸血をする場合の同意書も。輸血の際の「肝炎」「エイズ」などの感染のリスクの
説明もされる。
そして、手術が終われば、今度は「リハビリ」をしないとならない。
左右の足の長さが違ってしまうため、その感覚を母が覚えるためだ。
それと、人口関節にしたことで、いままでの歩行とは違ってくる。
そのリハビリに時間がかかると言う説明だった。


そして、手術当日、血圧も発熱もないため、手術に向かった母。
「じゃあ、またあとでね。大丈夫だから安心して行っておいで」と母に言う。
母は「うん、またね」と手を振って手術室に入った。


そして、時間にして5時間ぐらいだったかと思う。
手術室から出てきた母は、麻酔でもうろうとしてる。
酸素マスクをしていた。
「母さん、よく頑張ったね、もう、大丈夫だからね」と言った。
母は、首を縦にふり「うん」と言っていた。
しばらく、麻酔が覚めるまで、ナースステーション隣の病室で心電図を付けながら
私は母に付き添った。


先生が手術の説明をするため、私を呼んだ。
「手術は無事に終わりました。あのね、骨折してた骨、ドロドロに溶けていたんだよ。
なぜ、こんなになるか、私にも解らないので、検査機関に送っていいか?」と聞くので
了承した。
レントゲンを私に見せながら、説明する医師。
「これから、しばらくは、術後の経過を見て、歩けるようになったら、リハビリをします。」と言う事だった。


そして、母の様子を見に病室に行くと、母は麻酔から目覚めていた。
「痛い?」と聞くと「うん」と言う。愚問だったと思ったが、声をかけるのも気が引けた。母が突然「お父さんがね、迎えに来てくれないのよ。」とかなり気弱になってるのか、私は「父さんが迎えに来ても、まだまだ、そっち(天国)には行けないからね!って
突っぱねてやりなさいよ!」と言うと、母は笑っていた。
そして、私は家路についた。


これからもっと過酷で壮絶な事が待っているとは、思ってもいなかった。